憧れの海 〜 #虎吉の交流部屋初企画〜
小さい頃、わたしは長野県に住んでいた。
周りは山々に囲まれた「超」が付くほどのど田舎。
大自然はすぐそばにあり、夏休みといえば、よく近くの川に行って泳いたり、クワガタやカブトムシを取りに行ったりして楽しんだ。
子どもの頃のわたしにとって、それはとても貴重な環境で、外での遊びには困らなかった。
でも、ひとつだけないものがある。
海だ。
海は映像でしか見ることができなかったため、海水浴に行ったことのある同級生が羨ましく、夏の海に強い憧れを抱いていた。
そんなわたしも、ついに海へ行けることになった。
小学3年生の夏休み。
家族で海へ旅行することになったのだ。
…
出発の朝。外はまだ真っ暗。
父と母が前日のうちから荷物を積み込んでいたため、車に乗り込んだらすぐに出発することができた。
長野県の海といえば新潟だが、我が家が向かうのは静岡県の下田。
長野県から山梨を抜け、沼津、東伊豆へと下っていく。
今ではだいぶ道が整備され便利になったが、当時はまだまだ。道中7時間ほどの行程だ。
我が家の車は日産サニー。
まだまだ性能が低く、100キロを超えると「キンコン、キンコン」と音が鳴った。
ハンドルを握るのは父。
中央道に入るなり、「おとうさん、キンコン鳴らして!」とオーダー。
父がそれに応え、ブーン!とスピードを上げる。
…
キンコン♪キンコン♪
おぉ!鳴った鳴ったー!
この音を聞くのが道中の楽しみで、何度も何度も父にお願いした。
ふふふ。あの音、ワクワクしたなぁ。
山梨の山道を抜け、東伊豆へ向かう。
途中にあったグルグル回るループ橋に大興奮。
しかし、未だ海は見えない。
見えそうで、なかなか姿を現さない海。
まだかなぁ、早く見えないかなぁと、気持ちがはやる。
と、そのとき、とつぜん視界が開けた。
面前には東伊豆の真っ青な海。
家族みんなで「わー!海だ!」と歓声を上げる。
はじめて見る海。
ひろい…というか、でかい。
「うみはひろいなおおきいな」とはよく言ったもので、小学3年生のわたしにとって、実際に見る海は本当に大きいものだった。
そして、はじめて見る水平線。
それまで空との境界線は山であったわたしにとって、一直線に伸びる水平線は広く、どこまでも続いているように思えた。
早く近くに行って海を見たい。触りたい。
海の中に入ってみたい。
海を見たとたん、その思いがどんどん膨れ上がってきた。
…
ようやく下田に着き、民宿にチェックイン。
そして、いよいよ海とのご対面だ。
ビーチにはたくさんの人、人、人。
ジリジリと照りつける太陽に、焼けるほど熱い砂浜。
その奥には、憧れの海があった。
はやる気持ちを抑え、浮き輪に空気を入れる父を待つ。
そして、浮き輪を持ち、父と一緒に海へ向かった。
…
ザザー、ザザー …
近くで聞く波の音は想像よりも大きい。
波打ち際に立っていると、引き潮で足の周りから砂がなくなっていく。
そのくすぐったいような、ゾワ〜っという感覚が新鮮だった。
浮き輪に入り遠くまで泳いでみる。
父から聞いていたように途中から足がつかなくなった。
プールとは勝手のちがう海。
最初のうちは怖さを感じていたが、少しずつ慣れてきた。
プカプカ、プカプカ。
しばらくぼーっと海の上で浮かぶ。
気持ちいい。
ふと、視線を水平線の方へ向けてみた。
…青い。
視線の先は、水平線を挟んだ海と空だけの世界。
山の中で見慣れた緑、茶、黒などの色はそこにはなく、青と青のコントラストが広がっていた。
あの青だけの景色は、山育ちのわたしにとって、今なお色褪せない海の記憶である。
…
それから小学6年まで、毎年下田へ旅行したが、中学生にあがってからは部活動が始まったため、海へ行くことはなくなった。
それでも、心の中にはあの夏の海の記憶があったのだろう。
いま、わたしは海のそばで仕事をしている。
子どものころ憧れた、海のそばで。
虎吉さんのこちらの企画に参加しました。
季語:夏休み、夏の海
子どもの頃の記憶を頼りに記事を書いてみました。
虎吉さん、素敵な企画ありがとうございました!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?