「おもろい」から「面白い」へ、日本のお笑い文化を解放せよ。
日本の「お笑い」をいよいよ解放しなくてはならない。
何から?
それは、テレビ村からであり、吉本興業の吉本芸人中心の定義からである。
2023年12月、
その象徴である松本人志氏が、テレビ村から退場となった。
この機会に、
日本の「お笑い」をいよいよ解放していこう。
現在、日本のお笑いはとんでもなく狭義なものとなっており、
そもそもの「お笑い」という存在、
そしてそれを司る「芸人」というものが、
全く欺瞞に満ちており、
型無しとなっている。
その芸人の挙動はこうだ。
▫︎「俺の方が先輩やぞ」と先輩、後輩の上下文化を全面に出す
▫︎同業者を常に「芸人さん」とさん付け
▫︎「芸やわ〜」と会話のテクニックをいちいち芸として昇華
▫︎自分たち以外を「素人さん」や「一般人」と呼ぶ。
▫︎漫才、コント、漫談、フリートークなど、テレビ芸のみを「芸」としており、それ以外を認めない。
▫︎ダウンタウンに心底陶酔している。
▫︎上記の中で、「おもろい」「おもんない」と切り分け、「おもんない」は外野のヤジとして群れる。
などなど、
私はこれを本来の「芸人」と切り分け、
「おもろい芸人」として呼ぶことにしている。
この「おもろい芸人」は、
「日本のお笑い」という表現、文化の中において、
一定数いてもいいが、
あまりに独占市場としたことで、
伝統、文化が壊れてしまい、
ひいては、日本人の美徳、粋な生き方など、
美徳や哲学にも影響を及ぼしている。
このままではいけない。
そろそろ、
「お笑い」は、もっと広義であること。
狭義な「お笑い」が害悪であること。
しっかり、はっきり物申すことで、
「お笑い」を本来の広大な表現や文化の海に解放しなくてはならない。
そこから、日本はスベるスベらない。おもろい、おもろない。
という、単一的な薄いコミニケーション手法から抜け出し、
粋で、いなせなお笑い。
テレビに収まらない、多種多様な表現。
政治批判。
演劇、書籍。
ファニー以外のインターレストな「面白い」を、
作っていく必要がある。
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