見出し画像

ダウ平均株価3万ドルの方程式

はじめに


 2020年11月下旬、株式の世界に大きな驚きがあった。ニューヨーク証券取引所のダウ・ジョーンズ平均株価が史上初めて3万ドルを超えた。ほぼ同時に世界各国の株価も上昇し、日本の日経平均株価は2万6000円台をつけた。こちらは、史上最高値ではないが、実に29年と半年ぶりの高値であった。
 人々を驚かせたのは、この高値がコロナ禍という経済活動に大打撃を与える災害の最中で記録されたことだ。株価は相場現象であるから需供によっていかなる値も示す。だから不況下の株高という現象もしばしば見られる。しかし、コロナ禍は“不況”などというものではない。不況は経済・景気循環の一局面である。投資に向かわない、つまり“もうすこし景気がよくなってから”と待機している資金の一部が株式市場に流れ込み相場を押し上げる。不況の次に来るのは景気回復だという人々の期待が、この上昇を容認し、株価は景気を先読みする、ということになる。
 しかし、コロナ禍は人類を襲った大災害である。それは、人々が集まり、コミュニケーションを行うことで成立する経済活動そのものを阻害する。当然のこととして、人々の所得は減少し消費は減り、雇用状況は悪化し不況は深刻になっていく。
 コロナ禍の当初は(パンデミック宣言の布告された2020年3月の頃)、V字回復、夏が来れば、が期待されていた。しかし、それは虚しかった。第二波、第三波が地球を襲っている。11月になって、ワクチン開発成功のニュースがいくつかあるが、有効性、有効期間、副作用、人々に届く時期と経済的負担等、多くの課題がある。すべてが順調にいったにしても、ひとたび凍結してしまった人々の消費活動が元に戻る保証はない。そして閉店したお店、事業所の復活も、現実問題として難しい。
 にもかかわらず、夢の3万ドルが実現した。この背景にはなにがあるのか?株価と周辺の情勢を分析する過程で、ひとつの方程式に辿りついた。

前提としてのMM定理


 モジリアニ、ミラーという二人のノーベル賞学者が示した理論がある。二人のイニシャルをとってMM理論と呼ばれ、それが数学的に証明されているからMM定理とも呼ばれている。その要点は、企業が利益を配当として株主に配分しても、内部留保として企業内部に残しても、株主の利益は変わらない、というものだ。配当を期待して株式を保有している多くの個人投資家には、どこか感覚のズレている印象だが、会社の所有者は株主であり、会社の財産のすべては株主に帰属するという“原則”を認めてしまえば、飲み込める理屈である。
 これを前提すれば、収益>配当が収益≒配当になるから、EPS(一株当り利益)≒配当となる。これが、これから示す方程式の前提である。

株価


 株価はいかにして決まるか?他の多くの相場現象と同じく、売りと買いの関係である。ある同じ値段で売りたい人と買いたい人が同時に存在するわけだ。ここで問題とするのは、その値段が妥当であると売り手・買い手が考える、その根拠である。
 株価はまだ決まっていない。既に決まっているのはある企業(A社)の配当である。MM理論を容認しているから配当≒収益(EPS)である。通常、株価形成では、EPSも次の決算期のそれを利用するが、ここでは現在のEPSが来期も変わらない、つまり時制を現在型に留めておく。
 EPSが100円であったとする。さて株価は?それを決定するのは“率”である。率で100円を除する。率の候補はいくつかある。
 率といえば、100を掛けてパーセンテージで表現するのが普通だが、ここではナマの率を使う。
 最初に思い浮かぶのは銀行預金の利子率である。それが5%、つまり0.05であれば、いくらの預金元本を持っていれば100円が得られるか?を逆に計算する。

画像1

 答えは2,000円となる。この場合は、預金元本が先に決まった額としてあり、次に預金利子率があり、結果として利子額が計算できる。項目の出現する順序は異なるが、結果として成立した式を、株価形成に応用してみる。預金も株価も金融資産としては同じであるから、この応用は容認できる。
 しかし、違いもある。それは、金融資産としての安全性だ。預金は安全資産。一応、そうである。日本でも世界でも銀行不倒神話が語り継がれていたが、それは1997年に崩れた。だから銀行預金の安全は完全ではないが、いまでも一般の企業の倒産確率より銀行の方が低い。それと1,000万以下の預金には保険がある。
 差とは保有することのリスクの差である。株式を保有する際の最大のリスクは当該企業の倒産、そして常にあるリスクは会社の収益の変動である。例はいくらでもある。かんぽ生命で勧誘の不祥事があり、その結果、営業・勧誘が停止され株価は低迷し、中間配当は見送られた。コロナ禍で直接の打撃を受けた航空業各社はすべて赤字決算となり、無配を発表し、様々なリストラ策の実施を迫られている。
 要するに株式保有のリスクは、収益の分配がなくなる(減配)と、買った時より値段が下がる、金融資産としての価値が下がる、つまりフローとストックの損失の合算である。
 以上のようなリスクを背負うのであるから、それなりの“よいこと”もなければならない。
 この“よいこと”をプレミアムといい、これも率で示される。預金などの安全資産(国の倒産確率も低いから国債は安全資産の代表的なもの)の率にプレミアムの率を加算したものが分子になる。

画像2

 分子は、株式をこれから買う人の現時点での期待を率で現したもので、期待リターンと呼ぶ。
 問題はここからである。安全資産の利回りは、国と時間を決めれば一定の値が与えられている。ここでは、これを定数Cとする。アメリカ国債10年物の利回りは現在いくら、というように明示的に示されている(この1年間は0.6〜0.9)。しかし、リスクプレミアムというのはどこにも示されていない。時と場合によって変動するのはもちろんだし、A社とB社では投資家の持つ期待リターンは違う。アナリストと呼ばれる人々が、企業の状況を調査し投資家に情報を伝えるのは、期待リターンを適格に形成してもらうためである。リスクプレミアムは未知数だからXとしておこう。
 このXを求める。式を構成する他の項目に過去の経験・実際に得られた数字をアテはめていく。もちろん、そこで得られるXは過去から導かれた現在であり、それで未来を予測するには限界がある。そこで、もうひとつ工夫をしよう。
 A社の現時点での収益(配当)はすでに発表されている。企業には突然の大変身はない。主要な製作物が変る(トヨタがクルマを製造しない)ことは短期的にはない。だから、現状が将来に向けて継続する。もちろん、イノベーションは不可欠。競争を生き抜くためには変化が求められる。現状維持と革新の間を揺れ動くのは、企業に限らず、将来に生き延びようとしている組織に共通だ。A社はそういう企業だとする。
 投資家についても注記が必要だ。短期的な視点でのみ行動するか、長期的な視点を持つかで期待リターンは違って来る。我らの投資家は後者であるとしよう。すると、彼には企業Aが将来、収益を向上させ、配当を増やし、業界での地位を高めるという姿が想像できる。企業の成長が見えるのである。今年から来年にかけての成長、これも率で示される。これを期待利益成長率(E)とする。
 A社が来年以降、好決算・高収益なら、現在の期待から計算した株価より高くても買うという行動になる。いまは高い買い物でも将来は“安い買い物だった”になる。高い株価が算出されるということは、式のうえでは、分母の現在の期待リターン(C+X)から将来成長率(E)を引き算することで表現される。

画像3

 Eを引くということは、将来、成長しそうな企業(いわゆる成長企業)の株価、そういった企業を多く含む国の平均株価が高くなることを示す。やや、先回りだが、これもアメリカと日本の株価の差(ワニの口)を説明する一要因だろう。

画像4

 式(3)でXを求めることの問題点もある。Eはあくまでも予想である。各社が発表したものを集計した平均である。予想値で現在のXを求めるという危険をおかしている。また、PERは期間中の平均値、Cは現在値であるから、求められたXの性格が曖昧になっている。数学的にこれらの問題を処理する工夫があるのかもしれないが、ここでは先を急ぎたい。
 計算結果は、X=9.87となる。株を買う人は、安全資産の利回りに加えて年率10%弱のリスクプレミアムを求めているのである。
 次のステップPERを計算する。定数としていたCの代わりに実質長期金利(R)を採用する。なぜ、名目と実質をとり替えるかは後に説明する。
R:実質長期金利=長期金利(C)-消費者物価上昇率
 この際、長期金利は10年物国債利回りを、消費者物価上昇率については現在値でなく予想値。つまり期待インフレ率を使う。これは計算で求めるPERが将来値であるための措置である。

画像5

 計算式を簡単にするためX=9.87≒10とする。
 Rは、構成要素である二項目の変動から▲2〜2までの幅をみる。Eもアメリカ経済の現状、およびコロナ下での企業収益の状況からみて、幅をおおきくとり0%〜6%とする。これでPERを計算すると以下のような表-1を得る。
 RとEは幅のある予想であるが、現時点(2020年10月)でのEの予想は4〜5%、Rについてはマイナス2%が有力なので、この範囲を実線で囲ってみる。するとPERの計算値は25.8〜34.8となる。
 さて、ダウ平均株価が“夢の3万ドル”となった11月24日のS&P500の指数は3635であり、これに採用されている全銘柄のEPS平均は130であるから、これで計算したPERは27.96倍である。表の囲み、つまり計算値内に納っている。投資家が3万ドルでも買いにいく根拠はある。彼が計算しているいないにかかわらず、根拠はあるのである。

画像6

 表-1のインプリケーションは次のように整理できる。
・3万ドル達成は、急騰ではあったがバブルとはいえない。過去の実績数値、予想値の組み合わせから計算した値から大きくはずれていない。
・表-1の構造が示しているように、妥当なPERは、タテ・ヨコのメモリの移動で大きく変化する。実質EPS成長率が1%動くとPERは5倍変化する。それはNYダウで5,000ドル以上になるし、ヨコ軸(R)の一目盛の変化でも同様である。タテとヨコの小さな変化が株価の大きな変化を引き起こす。VIX(恐怖指数)は極めて大きくなることを説明している。
 ・アメリカの相対的な株高はEPS成長率が高いことが一因である。その主な原因はGAFAMおよび、新規公開の成長企業(ユニコーン)が圧倒的に多いことで説明される。

 期待インフレ率が高いことも株高を説明している。原因か結果は判然としないが、ドル安が進行しそうなこと、コロナ対策で散布された大量のドル(およそ3.1兆ドル)のインフレ圧力も、この国の期待インフレ率を高めている。

日本の場合


 まず式(3)で日本の株式プレミアム(X)を計算してみよう。

画像7

 TOPIX(東証株価指数)のPERは、この10年間図-1のようになっている。図からわかるように、短期の変化を除けば13〜16倍の間で推移している。ここでは14倍を採用する。

画像8

 長期金利は10年物国債利回りで、直近の数値は0.02である。図-2にみるように、コロナ禍パンデミック宣言の3月を境に国債利回りの水準が一段上昇しているが4月〜11月の間は安定している。平均値を計算してもほぼ同じであるので直近の数値を使う。
 問題は期待利益成長率だ。日本の2020年のGDP成長率はマイナスが予想されているが、2021年については見解が分かれている。さすがにV字回復予想は後退したが、コロナ禍の終息があるかどうか、オリンピックが開催されるかどうかなど、予測の難しい要素が多い。したがってEPSの予想もおぼつかない。計算対象の企業群をどう設定するかで大いに相異する。また、情報非開示の場合、ゼロ計算になるなど注意しなければならない点もある。
 諸困難について議論していると前に進まないので、2018年10月から2020年11月までのEPS(日経225銘柄平均)を表(表-2)にしてみると次のようになる。2020年5月からはコロナ禍の影響で急落しているから、この期間ははずしてみるとEPSは130台で動いている。この一年日本のEPSは成長していないので、成長率は0とする。

画像9

 これで計算するとX:リスクプレミアムは7.1になる。アメリカより3%程度低いが、2%以上のインフレ期待がある国と逆にデフレの心配がある国との差が示されていると見る。両国にはEの値に差がある。  
 まず長期金利を実質化することが必要だが、その際の期待インフレ率が簡単には出て来ない。アメリカはこの10年、政策的な介入なしに、ほぼ2%の物価上昇が観察されている。だから期待インフレ率も形成されやすく、かつそれが合理的にみえる。しかし日本の期待インフレ率は予測しがたい。このテーマは研究者・学者のターゲットとなり、これまでに多くの論文が発表されている。
 ここでは日本銀行の最近の研究に示された図-3を示す。(菅沼健司、丸山聡美、「日本インフレ予想カーブの推計」、2019年4月)

画像10

 期間の長短にかかわらず、ほぼ1%である。2017〜19年の3年間の実績値をみると消費者物価総合指数は0.5→1.0→0.5と推移している。日本でもコロナ対策で巨額の財政資金が支出されており、将来的なインフレ圧力は充分に大きいから、Rの範囲をアメリカと同じように▲2〜2の間に設定する。
 EPSの成長率は、年によってかなりのバラつきがある。マイナス7%〜プラス30%の間で大きく変動しているので、平均はとれない。2019は▲8.47である。2020年もマイナス予想だが、2021年は2020の大きな落ち込みからの回復も期待できる。ここでは範囲をプラス0〜3にする。

画像11

 Rがマイナス1のところを実線で囲んだ。日本のEPS成長率ゼロなら16.6倍、3%になれば33倍である。ちなみに、日経平均2万6000円を越えた11月26日の日経平均のPERは24.65であった。

小括


 株価がコロナバブルであるという見方は支持されない。2万6000円という株価でさえも理論値の内に納まっている。
 アメリカについて述べた同じコメントが成立する。タテ・ヨコの1目盛りでPERの計算値は大きく動く。5倍の差といえば、日経平均で5000円である。日本銀行の物価目標2%が成功したら日経平均は1万円上がる計算になる。日本は、財政インフレの危険にあるが、もしそれを事前に防止しようとして金利を1%上げれば株価は逆に5,000円下がる可能性がある。表-3のどこに日本の現状があるかは推定するよりないが、現在地から動けば大変動が待っている。別稿で述べたように日本でもVIXは高くなっている。

 アメリカの場合、EPS成長率が4.63と日本のゼロに比べると際立って高い。これが日米の株価を比較した際の“ワニの口”を説明している。
 金利や物価が動いても株価を維持できているかどうかは、上場企業の利益率にかかっている。現時点で日本に成長企業が少ないのは事実であり、多くの人がこの根本問題に気がついている。時間のかかるこの課題にどのように取り組むかが問われている。そうでないと日本の株価は、上昇・下降はともかく、利子率のわずかな動きで大変動することになる。
 抽象的な表現でしめくくろう。株式市場を利子率に支配される世界から解放して、本来の領域である利潤の世界に戻すことが課題である。

お読みいただき誠にありがとうございます。