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コロナと株価~序文~

 政治・経済、という言葉がある。日本人が、これに、馴染んでいるのは高等学校の社会の科目にこれがあったからだろう。セイケイ、なんて呼んでた気がする。今考えてみると、随分と大括りなのだけど、相手は、世界史とか日本史だから、仕方なかったのだろう。教科書は随分薄くて、それで受験科目にした記憶もある。教科書では、政治編と経済編に分れていた。だから、両者は別物扱いでもあったのだが、一冊の本に収まっているという一体感は、強い印象を残した。大学に入ってみると、経済学部の科目に、政治経済学があった。講義に出てみると、政治のことはちっとも触れない、純然たる経済学だった。教授が1回目の講義で、これが経済学のホントの名前だといった。ドイツ語では politischen ökonomie だと。あとでわっかたのだが、これはマルクス経済学の常識だった。かの資本論も、サブタイトルにこれをつかっている。かなり俗流化してしまえば、経済と政治は切り離せないということだ。この事自体は間違っていない。両者の関係、距離感が時代と国によって様々だということを認識しておけばよい。
 経済が成長を続け、経済領域の中に証券市場、特に株式市場が制度化される。その株式市場が経済成長を牽引する。政治経済学の常識から言えば、株価が政治に影響を受けるのは当然であった。これは世界史の中で何度も観察された。社会主義国のリーダーが死んでも株価がさがった。(スターリン・ショック)、JFK暗殺のときは当然下がった。しかし、だんだん、そうでなくなる。株式市場が巨大になっていくのである。
 話は進む。株式市場は経済現象そのもの、だから経済の状況に、つまり景気の動向に影響を受ける。この常識は破られない、誰しもそう思うだろうが、ごく最近になって、これも怪しくなっている。今回のコロナ問題は、この常識破りをすすめそうだ。

もしそうなると、株式市場はどうなるのか、さらに資本主義は?

 そんなことを考えるてみるために、前段として、コロナの期間の株価を集中的に分析してみよう。資本主義は何なのか、真面目に考える人も、当面、株にでも手を出そうかと考えている現実主義者も、一読に値するものを提供したい。

お読みいただき誠にありがとうございます。