夫が「がん」になった話②~腫瘍の検査~
【ここまでの流れ】
・2024年2月頃 肺炎? 咳が止まらない
・2024年3月頃 左目が腫れ(突出)はじめる
・2024年4月末 貧血になるくらいの大量の鼻出血
②【地元の耳鼻科受診から市立病院受診まで】
ゴールデンウィーク中に大量の鼻出血で貧血になった夫。休みが明けてすぐ地元の耳鼻科を受診しました。駐車場から病院までの短い距離でも支えなしで歩くのが難しい状態でした。
診察では鼻にカメラを入れて中の状況を確認したそうです。「鼻の奥の方に腫瘍がありそこから出血している」とのことで、腫瘍の表面を焼くことになりました。その処置中にも大量の出血があり先生や看護師の方も大慌てだったそうです。
先生からは「良性だと思われるが、念のため大きな病院で精密検査を行いましょう」と地域の市立病院の紹介状をくださいました。
処置のおかげで夫の鼻出血も一時的に止まり、その後2週間は通常通りに生活できました。今まで通り出張にも行き、つかの間の日常を過ごしました。
そして5月中旬、夫の誕生日の2日後、夫は市立病院へ向かいました。CT撮影後、診察室に入った夫が最初に聞いたのは「悪い病気の可能性が高い」という言葉でした。「がんですか」と聞くと、その通りという回答でした。腫瘍から検体採取を行い、精密検査を行うことになりました。
ちょうどその頃私は仕事で客先へ向かう道中で、夫からのLINEを受け取りました。文面の中の「がん」という文字を見て、目の前が真っ暗になりました。目の前が真っ暗になり、体の力が抜けました。漫画やドラマでよくありそうな表現ですが、今までにない初めての感覚でした。
その後の商談ではまったく集中できず、商談後は会社を早退しました。自宅の最寄り駅まで夫が迎えてきて、助手席に乗り込んだ瞬間に涙が溢れてきました。
検査期間は2週間で、5月末に結果を聞きに行くことになりました。がんかもしれないし、もしかしたらがんではないかもしれない、大きな不安を抱えながらの2週間は地獄のようでした。なんでこのタイミングなんだろう、なんで夫なんだろう、と答えのない問いが何度も頭に浮かんでは消えていきました。
医師から聞いたわずかなキーワードをインターネットで調べまくり、寝ても覚めても「がん」という言葉が頭から離れませんでした。「がん=死」を強く感じ、やり場のない悲しみに溢れ、人生のどん底を歩いている気分でした。
がんの治療はいわゆる「待ち時間」が長いと本に書いてありましたが本当にその通りでした。良くも悪くも事故や突発的な病気に比べると時間があり、その間、気持ちは乱高下しました。
がんの可能性があると分かった翌週、会社の先輩に状況を報告し相談をしたら、テレワークができるよう会社へ働き掛けていただけました。もともとテレワークの選択肢がない会社だったのでこの働きかけはとても助かりました。
その先輩も身近な人ががんに罹患した経験がありアドバイスもいただきました。
・自分ひとりだと思わないこと
・自分を大事にすること
・治療の結果に一喜一憂しないこと
がん患者の家族は第2のがん患者と言われるほど、身体的なダメージはないものの精神的には絶大なダメージを負います。大切なパートナーを失う不安、将来への不安、など不安が尽きません。
しんどい時は誰かに頼ったり積極的に相談した方がよい、と言っていただけたことはその後の闘病の中でも心の支えになりました。