映画『窓ぎわのトットちゃん』~受け入れてくれる場所~
『窓ぎわのトットちゃん』は人生のバイブルです。
小学生の頃に読み、こんな学校が存在するのかと感動し「トモエ学園に絶対に行く!!」と騒ぎました。残念ながらトモエ学園は既になかったので、母親がトモエ学園と同じルーツをもつ学校を探してくれました。両親には改めて大感謝です。
映画『窓ぎわのトットちゃん』
ということで、映画『窓ぎわのトットちゃん』を観に行ってきました!
もう、最初から最後まで、涙が止まらない。
こんなに映画館で肩を震わせるほど泣いたのは初めてです…。ちょっとこの作品への思い入れが強すぎました。一人で来て良かった……。
思い入れが強すぎるついでに長文感想。
ネタバレまではいかないですが一部内容にも触れていますので、まだ原作も映画も観ていない方はご注意ください。
受け入れてくれる場所
今でこそ様々な病名がついて、理解も進んできてはいるものの、トットちゃんのような子は「普通のことができない子」「扱いづらい子」「落ち着きのない子」と認識され、迷惑がられてしまうこともあると思います。
子供の方も無頓着なようでいて、ちょっと気づいているんです。もしかして自分が親を苦しめているんだろうか。なんで他の子ができていることを自分にはできないんだろうか。自分は何かおかしいんだろうか?
だからトットちゃんとご両親が「そのままでいい」と肯定してくれるトモエ学園に出逢えて本当に良かった。
そして、そういう子供たちの無垢さ、ご両親やトモエ学園の小林先生たちの無償の愛、相手への思いやり、命を慈しむ気持ちが作品全体に暖かく広がっていて、心に染みわたります。
ところどころのシーンに考えさせる要素があり「こうした方が良い(良かった)」等の答えはない。それは見ている側がたくさん考えた末に出した答えならば、小林先生は「そうか」と受け入れてくれるんだと思います。
トットちゃんの創造力・想像力・妄想力が生み出す世界もまた、テイストの違うアニメーションで描かれていて、無限に広さを感じました。こういう力は強すぎると誰かを困らせてしまうものかもしれませんが、どんな状況でも打破できるパワーにもなると思います。
その中で、戦争が人々の心を蝕み、日常を侵食していく…。特別に残酷なシーンや戦争の恐ろしさを詳しく描いているわけではないのですが、ひたひたと迫りくる黒い影に胸に苦しくなりました。
「皆で一緒にやる」
小林先生は「皆で一緒にやる」ことにこだわります。
これは「皆で足並みをそろえて平等に進む」ではないと思っていて、どちらかというと「多様性を受け入れる」ということなのかなと。
全員スタート位置が違う。進むスピードが違う。得意な人もいれば苦手な人もいる。それを互いに受け入れた上で、誰かが転んだり、別の方向にいってしまったり、もう嫌だとごねたりすれば、励ましたり、手を繋いだり、別の勝負に切り替えてみたりして、どうすれば最終的に一緒にゴールできるかを考える。
それが小林先生の「皆で一緒にやる」ことなんだろうと勝手に思っています。
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