【地域おこし】 馬、レコードからピーマンの町へ: 故郷の産業と地域活性化の未来について
土曜日から地元へ帰ってきまして、子どもと1か月ぶりの再会。
久しぶりにのんびりとした時間を過ごすことができました。
その中で今回の帰省では、地域おこしとして農家を募集しているということで、地元産業の現状と農業の学習も兼ねて見学をしてきました。
ということで今回は、生まれ故郷の産業について書いていきたいと思います。
馬とレコードの街 にいかっぷ
筆者が育った新冠町は、北海道日高地方の中部にある町で、軽種馬(サラブレッド)の産地。2010年以降はノースヒルズの台頭により、キズナやコントレイルの故郷であります。
2,000年以前から栄えていた馬産業に加えて、21世紀に入ってからは音楽・レコードの街として売り出し始めることに。
レ・コード館(公共施設)、レ・コードパーク(公園)、レ・コードの湯(温泉)など施設に「レコード」の名前を付けることが一種のトレンドだった?
2,000年台前半。その後巻き起こった“平成の大合併“の中でも何とか「新冠町」の名前を残すことができ、今に至っております。
もう1つの顔であるピーマン
オグリキャップを中心とした平成初期の競馬ブームが去り、競馬界が不況となって、町おこしのツールとなった「音楽」。
しかしレコードでの売り出しも数年で落ち着いてしまい、次に注目されることとなったのが「ピーマン」でした。
生産自体は昭和55年から行われていたようですが年々増加し、生産量北海道1位の特産となるや“ピーマン推し“が始まります。
レコード館が誕生した当時、銘菓だった「ばふん饅頭」「レ・コードクーヘン」がいつの間にか「ピーマンソフト」となり、「ピーマンソング」なるものが現れ、あからさまなPRや乗っかりに地元民でかつ学生だった筆者は当時、さぞかし冷めた目で見ていたのではないかと思います。笑
システム化が進んだ「ピーマン選果場」
そんな町の新たな主役ピーマンを作る農家(後継者)を募集しているということで、どんな形でやっているのか見学をさせてもらうことに。
引退競走馬の活用に加え、最近、シェア農業を始めた筆者にとっては、馬産地の農家が如何にして、野菜を作っているのか。純粋に興味を持っておりました。
JAにいかっぷピーマン生産部会の部会長を務める竹中さんから堆肥、栽培、収穫の話を中心に伺い、特に印象に残ったのが「量を担保できないと相手にしてもらえない」という言葉。
自分や農家の生活を豊かにするため、産業としてのブランド力を上げるためには生産量がカギになる。「確かに!」と思う一方で、「量を増やさなくとも付加価値を付ければ、それがブランド力になるのでは?」
「なぜ自分たちで販路を拡大しようとせずに、農協に卸してしまうのか。」
なんて生意気なことを思っていたのですが、その後に農協のピーマン選果場へ行くと否が応でも納得させられることに。
自動製函機に、AIによる仕分け、自動梱包に、箱へサイズなどを記載するインクジェット機など設備は最先端のモノとも見劣らないレベル。
これだけのものを見せられたら(街全体にとってのプラスを考えるのであれば)出荷までの作業は農協に任せてしまい、農家は生産に集中するのも決して間違えた選択ではないと思った次第です。
更なる地域発展を目指して…
馬ふん堆肥も既に活用しており、ピーマンの生産から出荷までの工程も分業・効率化されている現状のシステムにおいては、ピーマンを別の経路で販売していくのは(最適化という意味では)容易ではないと実感しました。
一方でブランディング戦略を整備し、(農協 or 自前の販路という二択ではなく)ハイブリッドな販路で捌いていけば、もっと価値のあるものを作っていけるのではないか。
この気持ちは以前よりも増したような気がしております。
次回は牧場側の意見を聞くことで、更なるヒントを集めていければと思っております。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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