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ファジーとシームレス

自分の言動を観察し、はい、いいえで答えられるような質問を「まぁ…(許容)」「いや…(遠慮)」で答えてる節があることに気がつきました。

曖昧なことは境がなくて良い時があると感じます。ルールが定まってないけど秩序が守られていることはある程度の自由があるから心地がいいのかもしれません。

どっちつかずで、どちらともとれる、「そうだと思ったんだよな」は後出しジャンケン。きっとどこか”割に合わなさ”を感じながら大切だと思っていたはずの何かを、仕方なく捨てて、とってつけたような強い意見を受け入れてしまっていたのだと思います。

会話の中でも多用してしまっていたファジーな表現を、ズバッと切り裂くような決断ではなく、「そう思うんだ!こういう意図だけどそっちの意見も理解できるな」とシームレスなコミュニケーションをしていきたいと思います。

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