侵犯行為・実効支配は身近な現象(飲食店)
ジム付近にある或るお店
コストパフォーマンスは申し分なし。
でも、受注後、スタッフが伝票を透明の筒に入れる時、背後からグワっと手を、すきを突くように、何の前触れも、声掛けも、予備動作もなく、頭上を覆いかぶさるように、弧を描きながら、目の前に伸びてくる。肩越しに伸びる手。シンプルにいえば、例えば「死霊のはらわた」とかのスプラッター映画と同質のショックを受ける。
別にウェスティンホテルのレストランで食べているわけではないので、極上の接客を期待しているわけではないし、狭い国土のさらに限られた居住可能スペースに人々が身を寄せ合って生きてきた風土だから、パーソナルスペース、パーソナルバウンダリーの概念が育ってこなかったのはしょうがない、とあきらめている。ましてや、庶民、大衆向けのプライスの店なら尚更。
でも仮に、私が恐い人、例えば、首から顔にかけていかついタトゥーを入れている人だったら同じことが起きただろうか?恐れ、あるいは、畏れ、畏怖からではなく、「これは美しい行為ではないな」と感受する感性(美感や美意識)やエチケットの精神からマナーが実践されたら良いのだが。
そうでなければタトゥーを入れるしかない。外から見えやすいところに。
つまり、この場合タトゥーは道路標識の「止まれ」と同じ記号としての機能を果たしている。
東アジアの秩序だって同じではないでしょうか?
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