間合い

心配をどう消化するか?

6月に大阪北部で地震、今月に入り今度は観測史上最大規模の豪雨が西日本で発生、亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、今も心細い想いで
避難生活をされている方々に心からお見舞い申し上げます。


既に実家はないものの、広島で生まれ、西宮、倉敷で10代を過ごし、高槻、摂津、豊中で20代を過ごしてきた。家族親族、友人知人も数多く生活している。幸い、把握している限り、無事を確認したが、心中不安を抱えながら生活していることも想定でき、決して平穏な状況でないように感じる。
心配のあまり、つい「何か困っていないか?大丈夫か?」と声もかけたくなるのだが、自分からはそういったアクションは起こしていない。理由としては以下が挙げられる。

・目先のことで大変な状況下で、どんなに心配の声をかけられても一つ一つ丁寧に回答できるゆとりはない。
・実際に困っていることを聞いても、すぐに対応できることは限られている。
・本当に助けを必要としていれば、何らかのアクションがあるだろう。本人が望んでいることに応じるのが一番。

心配をしているようでちゃっかりと

SNSでも一連の災害に関し、お悔やみやお見舞い投稿を目にするようになった。しかし、中にはちゃっかり自分の宣伝を絡めていたり、自分の宣伝を長々した後、追伸的に触れていたりと人によって様々であると感じた次第。私見的には、何かのついでに受け止められるような心配のしかたは逆効果のように思う。きちんと向き合う、受け止める姿勢は特に不特定多数対象の場合、留意すべきだろう。

放置しない、関与しすぎない

私は心配事なり、悩みなりは当人以外に真剣に(時には深刻に)受け止められる以外はいないと思う。家族間でも同様である。事実、本質は本人以外分かりようがない。その辺り、私の妻は距離感の取り方がうまい。何かに悩んでいる、機嫌が悪そう、落ち込んでいそう。。。基本的に「どうしたの?」を聞いてくることはない。放置状態である。しかし完全に放ったからしかといえばそうではなく、行動の変化に敏感に反応する。酒量が増える、睡眠が浅い。。。ただ、この問題行動を直接咎めることはない。
つい先日のこと、酒量が増えた私に「この前、ほろ酔いで寝てたけど、呼吸が荒かった。本当はあまり呑む必要はなかったんじゃない?」単に飲み過ぎを咎めるよりも自覚を促される言動である。その前に「よく観察している」と感心したものだ。
睡眠が浅く、夜中に目を覚ますことが多くなった際は、睡眠アプリをダウンロードし寝室に流してくれたおかげで熟睡できるようになった。

相手がアクションを起こすことを求めてはならない


事が起きたときに心配するのは誰でもできること、問題は心配の先に何を求めるか、期待するかである。最も重要なことは、何も求めない、期待しないこと、心配するのははっきり言って自己都合、相手がいる場合、それに対応するか否かはOut of controlである。
対象が家族、恋人、親友であればそう割り切ることもできない。その場合は、相手が自覚できるような言動を自身が無理のない範囲でやる(やり続ける)ことである。それであれば、たとえ相手がNo Actionであっても腹も立つまい。

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