「清濁併せ呑む」とは?
「清濁併せ呑む」って聞いた事あると思います。政治家や企業の社長が座右の銘にしている事もありますよね。
おおまかには「分け隔てなく受け入れる」との意味かと思います。
でも、「深くはどんな意味か知らない」人も多いと思います。
なので、私の個人的な解釈もありますが、一緒に共有出来たらと思います。
言葉の深い意味を知れば、「清濁併せ呑む」ことができる人材になりたいと思うはずです。
清濁併せ呑むの意味
「清濁併せ呑む」は「せいだくあわせのむ」と読み、意味は次の通りです。
大海は、川から流れてくる水が清流(綺麗な水)も濁流(濁った水)も関係なく受け入れ、飲み込み、全て自分としてしまう。
つまり、差別・選別することなく、どんなことでも受け入れる様子を表した言葉です。
また、「清濁併せ呑む」の出典については諸説ありますが、中国の前漢時代の歴史書の『史記』であるとされています。『史記』の中に「法令は治の具にして制治清濁の源に非ず」という記述があります。
意味は「法令はあくまでも統治のためのものである。決して清濁を裁く物ではない」というもの。この文章が、清濁併せ呑むの語源であるという説が有力です。
総務のヤシが考える言葉の意味
清濁併せ呑む人とは「人としての幅が広い人」ではないかと思います。
例えば、自分とは全く意見が合わない人でも、その意見を一旦は受け止めて、自分の中で考える事が出来る人とかなと
私は、様々な人の意見や苦情を聞きます。「なんでこんな事を」って思う時もありますが
「清濁併せ呑む人」になりたいと思い、相手の意見を一旦は受け止めれるよう頑張っています。
人間の幅を「円」で考える
人間の幅を「円」で考えると、人によっては小さな円の人もいれば、大きな円の人もいて、尖った円もあれば、横長の円もあり、人それぞれで、様々だと思います。
その、相手の円と自分の円を重ねた時に、交差する箇所が、相手を受け入れることが出来る箇所ではないかと思います。
なので、人間の幅を「円」としてとらえて考えれば「清濁併せ呑む人」は、上にも下にも右にも左にも、誰よりも「円」が広く大きい人の事だと思います。
私は、どんな人でも受け入れられる「円」の大きな人になりたいと日々頑張っています。
まとめ
まだまだ私は、「清濁併せ呑む人」には遠く、人の幅としての「円」もまだまだ小さいです。
日々の努力を積み重ねて一緒に頑張って行きましょう。