日本酒とは日本文化のことであり、自分自身のことだ。
「日本の特徴って何だろう」
「日本人の特性を言い表すとすれば」
「日本が世界に誇れるものって何だろう」
ずっと考えて来ました。
学生時代に「発展途上国」に対する「援助」について学び、その実践の一環として大学を休学して東南アジアのとある山奥で海外ボランティアに携わって以来、一貫して海外との接点の中で暮らしてきました。
仕事で海外駐在も経験し、現在でも海外出張はもちろん、プライベートでも纏まった休みがあれば時折海外旅行に出かけます。
「海外に触れると日本のことがよく見える」
というのは本当のことで、
これをもう少し正確に言うと、
「海外に触れると日本のことを否応なく考えさせられる」。
海外の方々は、「日本人として当然知ってるでしょ」という前提で日本のことを色々と聞いてくる。その度に自分が如何に日本のことを分かっていないかを痛感させられる。
そんな経験から、日本そして日本人の特徴と言えることについて考えてきました。
日本人の根本にあるもの
海外で生活してみると、特に思ったようなサービスを享受できない、そこにあるはずの便利さが無いといった場面において、
「やっぱり日本って良いよなー」
と思う場面が沢山出て来ます。価格に比例したモノの価値、価格に比例したサービスの質。医療へのアクセスの良さ、治安、etc.
日本ってほんとに良く出来てるんです。
細やかで他人への配慮があって、とことん細部まで突き詰めるような気風。大好きです。
一方で、例えば欧米にある一神教や、東南アジアで見てきた共同体・家族・親族との情緒的結びつきの強さといった、社会の根底にある価値観。それは、日本でいうところの何になるんだろう?そういう根底を形作る価値観なんて果たしてあるんだろうか?
と、海外に接する度にイヤほど考えさせられてきました。
日本、日本人の根本にあるもの。
今の日本人の起源にあたるエッセンスって。
例えば、海外の人々の「信仰」にあたるもの。それは、日本では
「自然への畏怖の念」
「自然へのリスペクト」
じゃないかな、と思います。
八百万の神。
古来日本の人々は、大きな石や、大木を見つけてはそこに綱を巻いて神様にした。何なら家の中にも大黒さんやら弁財天さんやら沢山の神様がいる。
農耕民族として四季の移り変わりを敏感に感じ取りながら、何よりも大切な太陽や雨の恵みを神に祈り、そして感謝した。
自然界に発生する様々な自然現象、天変地異は神の仕業であると畏れ、敬ったところに日本人の原型がある。
日本人のメンタリティの根本は、自然への感謝と畏怖の念、リスペクトにある。
日本酒というもの
自然へのリスペクト。
真摯で細やかで誠実な想いを乗せた技。
その結び目にあるのが日本酒。
そう、日本酒はそのままの姿で日本文化を表している。
もう彼此20年以上、海外と接点のある人生を送ってきて、日本の特徴、日本人の特性を考えてきた。
その答えは、日本酒にある。
それに気付いた瞬間、子供時代を過ごした田舎の家、田んぼと畑と山に囲まれた自然の風景が一気に脳裏を駆け巡った。
夏の朝、カブトムシを取りに近所にある神社の林に足を踏み入れたらそこだけ澄み切った空気が冷んやりと漂っていた、あの匂いを思い出した。
子供心に、そこは何か特別な場所だと思った。
ずっと探していたものの答えは、これだ。
なんだ、日本酒って自分自身のことじゃないか。
そう実感した。
ぼくは桜満開の時期に生まれた。今でも桜を見ると無性に愛おしくずっと眺めていたい気持ちになるのは、そのためだ。
子供の頃から白米が大好きなのは、近所の農家のおばあちゃんがお裾分けしてくれる、精米したてのお米がやたらと美味しくて、ぼくの味覚の原点になっているからだ。
日本酒を形作るものの芯の部分が、自分にそのまま繋がってる気がした。
静かに震えてしまった。
神経を集中して日本酒を口に含む時、色んな味わいがそれを言葉にして表に出してくれと、ぼくに求めてくるような感覚がある。
日本酒を味わう、それを言葉にするというのは、ぼくにとっては貴重で大切で、そして自然な作業だ。
ぼくは日本酒を愛してしまっている。
だって、日本酒とは日本文化のことであり、ぼく自身のことなんだから。