限界を知り、多様性を知る。
昨年初頭あたりから、筋トレをしてます。最近は新型コロナの影響で自粛+ジムの休業で2~3ヶ月は休んでましたが、先週あたりから徐々に再開させました。
筋トレを続けるメリットというのはすぐに思い浮かぶだけでも色々とあって、自分の肉体が理想とする形に少しでも近づいていくこと、メンタルの安定、やる気、トレーニング後の爽快感とリラックス感。
一番のメリットは、健康を手にできる事だと思います。
心身を整えるという意味では、筋トレする事で「人として本来の姿に戻っていく」ような感覚さえあります。
肉体の変化という点では、最初のうちはビギナー特有の成長の早さもあって、筋トレの効果をモロに実感してました。嬉しくてガンガンやってたんですね。
仕事が終わって、24時間営業のジムに行くのが楽しみで仕方なかったし、大好きな日本酒さえも飲むのを控えたりしてました。
筋トレのフォームやメニューの組み方、トレーニング頻度、タンパク質の摂取量や摂取タイミング、効果のあるサプリメントやその理由、普段の食事のあり方など、色々と勉強して実践で試してみて効果を測る。そういうの好きなんです。
でも、「トレーニング」「栄養」に加えて、もう一つの大切な要素「休養」への配慮が甘かった。
筋トレを初めて半年ぐらい経った頃、筋トレ中に思い切り腰を痛めてしまい、その後2ヶ月ほどまともにトレーニング出来ない状態になりました。肉体の疲れの抜け切らないままにガンガンやり過ぎたんですね。
その時は本当に激痛で、朝起きてもベッドから立ち上がることさえできず、痛みに耐えながらやっとのことで立ち上がっても腰に全く力をかけられないため歩き方が分からず、家の中でほんの数歩進むにも困難で。
自分の限界を知ったという話です。
1. 自分の限界を知る、とは
腰痛が癒えて、再開した時。もう情けないくらいにバーベルが上がらないんですね。腰痛になる直前には普通に上げていた重量が重すぎて全く上がらない。しばらく使わない神経は退化してしまうし、不安や恐怖心もあって余計に上げられない。
扱える重量も上がってきて、それなりに自信もついてきてたのに、なんだ、自分の能力ってこんなものかって、諦めというよりは逆に新鮮な気付きがありました。
いい意味で、自分の限界を知ったというか。
最近の新型コロナ明けの筋トレ再開時も驚くほど挙がらなかったです。大げさに言えば、退化の進行を実感しました。
結局、一人の生身の身体で出来ることには限界があるんですよね。当たり前のことなんですけど。
で、自分の限界を知るってどういうことかというと、限界を知ることで、その壁の先にある高みを知るってことなんだろうなって。
限界を知ることで、そこに成長の余地を見ることが出来るってことですね。
なんか、それはそれで大きな気づきを得たいうか。新鮮な発見でした。
2. 成長の余地とは多様性を知ること
では、成長の余地って一体何のことかって話ですが、それは筋トレで言えば、隣の人がもの凄い高重量を挙げていて、いつか自分もそれに追いつくこと、ということではなくて、
あくまでも過去の自分が叶わなかった重量が挙げられるようになること、という狭い視点での話でもなく、
過去の自分には出来なかったことが出来るようになる、ということの本質的な意味は、過去の自分には見えてなかった世界が見えるようになることなんだと思います。
筋トレを例に取ると、その目的というのは本当に人それぞれで、腰痛明けのリハビリ目的で軽い重量しか扱わない人もいれば、変なフォームなんてお構いなしにジムで汗を流すことが純粋に気持ちいい、なんて人もいるはずなんですよね。
これって当たり前のことなんですが、そんな当たり前が見えるようになる、気付くようになる。本質はそこなんだろうなって思います。
トレーニング中の怪我やら、翌日の筋肉痛といった痛みや苦しさも全て含めて、結局みんな自分の納得に向かってやってるだけなんですよね。
それぞれ個別の背景と事情を抱えた中で、自分と向き合う。向き合い方を模索する。そこにあるバラエティの豊かさ、「多様性」を知るということ。自分の限界を知ることで、世界の広がりを見る。
自分の限界を知って、そこに成長の余地を見る。
その本質的な意味合いは多様性を知ることなんだと思います。