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自然の中で過ごした感覚が今の自分を支えている。
関西のど田舎で生まれ育ち、その自然の原風景こそぼくが日本酒を愛する理由の一つだ、と最近記事に書きました。
歳を重ねる度に感じることがあります。
それは、自然というものが、どれほど深く自分の中に埋め込まれているかということ。
そして、
自然に囲まれて生まれ育ち、自然の中でめいっぱい遊んだという経験と記憶が、今のぼくをどれほど肯定してくれているかということ、です。
◇◇◇
・物事が全て上手くいく、ということはない。
・人や物事をコントロールしようと思わない。
・「変化」「流れ」にこそ価値がある。
ぼくはこんな価値観を持っていて、これは、学生時代の海外ボランティア以降、仕事も含めて海外との接点の中で過ごしてきた経験も大きく影響しているとは思いますが、
この価値観の元を深掘りしていくと、やっぱりぼくの原点が「自然」にあること、そこに辿り着くんですね。
スイスで雄大なアルプスの姿を目の前にしたとき「この大自然には敵わないな」と感じたあの感覚は、
仕事が思い通りにいかずに「全てが上手くいくなんて、そもそもないよな」という感覚と全く同じだし、
長野の南アルプスの登山で、一日10時間近くずっと降り続く雨に体を晒して登っていたとき感じた「これを受け入れるしかない」というあの感覚は、
仕事で「人やプロジェクトは自分の思うようにはならない」という、心地良い諦めの感覚と全く同じだと思ってます。
逆に物事が上手く進み出したとき、「これは自分の努力の賜物だ」なんていう傲慢さを軽々と打ち砕いてくれる問題が発生し、謙虚であれと教えてくれる。
◇◇◇
良いことも良くないことも、元気な時も調子の悪い時も、好きや嫌いや、尊敬や違和感も、
時間が経てば「全てそのまま、そういうものなんだ」という爽やかな諦めを与えてくれるのは、ぼくの中にある原風景としての自然の雄大さだと思ってます。
自分の非力や未熟さ、矛盾さえもやや肯定的に捉えていられるのは、自然というものが自分の中に深く刻み込まれているからなんじゃないかと思う。
◇◇◇
子供時代にどっぷりと染み付いた自然の感覚。それが大人になってもまだ自分の中にしっかりと残っているし、
それを感じられるのは、有難いことだなと思います。
心の余白みたいなものは、子供の頃の自分の中に既にあったもので、その感覚を人は「直感」と呼んでいるんだと思います。
だから、人生を選択するような場面において自分の直感を信じるというのは、子供時代からの自分を肯定してあげる、大切にしてあげるという行為とイコールなんだと思います。
面白いなって思うのは、子供時代の感覚の大切さというのは、大人になって初めて気付くということですね。
子供の頃にはなんでもなかった、ありきたりの日常や経験が、大人になった自分にとってどれだけ大切なことだったのかってことに気付く。
人生に無駄な経験はないって、
きっとそういう意味なんだと思います。