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繊細さを抱えた人にしか出来ないことがある。

赤ちゃんの頃から周りの音に敏感だった、と母親が教えてくれた。ぐっすり寝ているはずが、少しの物音でビクッと目を覚ましていたって。

赤ちゃんの時のこと、さすがに覚えてないけど、「自分が繊細で敏感だ」ということはなんだかとてもよく分かります。

香りや匂いにも敏感で、初めて行く国や場所では、降り立った空港や駅の様子をまずは匂いで感知している気がします。

今でも洗濯物の香りを確かめたり、慣れない食材はまず匂いをクンクンと確かめる。

他にも、人混みが苦手だったり、大きな音が継続的に鳴っているような場所も苦手だったり。

そうして、これまでずっと繊細さを抱えて生きてきました。

こういう繊細さは人間関係にも出るところがあって、人と会話をしていると、

・今の一言は余計だったな、とか、
・さっきの表現はこうすべきだったな、とか、
・相手のこの雰囲気は、きっと心地よくないんだろうな、とか、
・このアプローチは逆に相手に気を遣わせるからやめておこう、とか、

人と接している時のぼくには大量の情報が流れ込んでくる。

別に緊張してるわけでもなく、自分に自信がないということでもなくて、ただ情報量が多い。生来の人見知りとあって、自然と「観察」に入ってしまう。

だから、突き抜けた明るさを持った人や、少なくとも表面上は他人のリアクションなんて気にしてなさそうな人に出会うと、素直に良いなーって思います。

一方で、

・全然人の話聞いてないやん!とか、
・えっ。。目の前のこれが見えてなかったん!?とか、
・えっ、そのポイント見落とすか!?とか、

そんな、信じられないマヌケな側面も併せ持ってたりします。仕事ではあまり無いんですが、日常生活では結構な頻度でこの側面が顔を出す。

良く言えば愛橋みたいなものだし、悪く言えばただの注意散漫。しかも、当の本人は反省とか自己嫌悪なんてものからは程遠いところにいるものだから、タチが悪い。

要はバランスを取って来たんでしょうね。

繊細さや敏感さだけでは情報量が多すぎて耐えられないから、そんな世界とは真逆の開放ゾーンを無意識のうちに自然と自分の中に創造してきたんだと思います。

◇◇◇

今回は、どうしてこんな記事を書いてるかというと、 HSP : Highly Sensitive Personという言葉があるのを知ったからなんですね。

平たく訳したら、「すごく敏感な人」「とっても繊細な人」ぐらいの日本語だと思います。

早速ネットで調べたら、まさしく自分のこと!ってぐらいにその特徴のほとんどが当てはまる。冒頭で紹介したような特徴です。

こんなにピッタリの言葉・概念があることを知って、これ、面白い!って思うと同時に、今よりも更にもっと繊細だった10代半ばから20代前半あたりにこの言葉に出会ってたら、もう少し安心感を持って生きられたかなーとか、考えてしまいました。

原因不明の体調不良で病院に行ったら、医者からはっきりと不調の原因に名前を与えてもらえず、「きっとストレスですよ」なんて言われても何の解決にもならない、

そういう類のモヤモヤ感がずっとあったんですね。敏感な歳頃の時に。

「やっぱり、自分はちょっとおかしいんだろうな」とか、
「この過敏な性格を何とかしたい」とか、
「もっと気楽に人とコミュニケーションが取れたら良いのに」とか、

すっごい考えてました。そういう、人としての欠落感というか、欠損した感じがずっとあって。ちょっと息苦しかったんですね。

そんな息苦しさの中でも、持ち前の器用さでそれなりに人とうまくやってきたとは思うけれど、軽やかに生きるとか、自分を出す・表現するということに困難を感じてました。

◇◇◇

でもね、今なら分かります。

複雑でややこしさもあって生き辛さも感じてきたけれど、繊細さを抱えて生きてきて良かったって。繊細さを抱えた自分にしか出来ないことがあるって。

ぼくは日本酒が好きで、利き酒師という資格も持ってるんですが、日本酒を口に含む前の香り、口に含んだ後の味わいの特徴や入口の香りとの重なり模様、鼻に抜ける香り、余韻を確かめる。

この一連の作業(利き酒)で感じたこと、自分の鼻や口の中や舌触りで感じた、極めて主観的で微妙な感覚を言葉で表現する。

この主な目的は、「自分の言葉で表現してメモをとっておくことで、銘柄毎の微妙な味わいの違いを後から自分の中で再現できること」、なんですが、

その表現(言葉)を見た友人や知人、SNSでコメントをくれる方々が、すごく褒めてくれるんですね。味わいが臨場感をもって伝わってくる!とか、そのお酒を今すぐ飲みたくなった!とか、自分の大好きなタイプに間違いなさそうだから買ってみます!、とか。

過去も現在も仕事で日本酒に関わったことはなく、100%純粋に趣味で楽しんでいる利き酒によって喜んでくれる人がいる。その言葉に影響される人がいる。プラスの影響を与えることができる

好きなお酒を楽しむって、自分にとってはほんとに自然な行為なのに。こんなに誰かにダイレクトに伝わるんだ。影響を与えられるんだ。

ああ、そうか。そういうことか。

「主観的で微妙な感覚を大切に、それを言葉で表現する」って、繊細さを抱えて生きてきた自分にとっては極めて自然なことだって。自分にとっては全然特別なことじゃないのに、それで喜んでくれる人がいるんだ。

◇◇◇

「自分らしく生きる」というと、何かキラキラとした充実感の中で、ストレスなく軽やかに生きるようなイメージがあるけれど、きっとそうじゃない。

そうじゃなくて、「自分らしく生きる」というのは、「『自分』から外れたことをしないこと」なんだと思います。

自分の真ん中にある変わらぬ特性というのは、良くも悪くも「自然にそこにあるもの」。だから、繊細さを抱えて生きてきたぼくにとっての利き酒という行為、それを言葉で表現するという行為は、必然的に自然な行為となる。

繊細さによって、これまでの人生で多分に息苦しさや生き辛さを感じてきたけれど、「自分らしく生きる」というのは、そういった困難や制約といつも隣り合わせでワンセットなんだって、

繊細さを抱えて生きてきた自分には、今そのことがよく分かります。


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