あの塩辛いイワシのある場所
20歳そこそこだったぼくはお腹を空かせていて、塩辛い焼きイワシをおかずにパサパサの白ご飯を口いっぱいに詰めて食べていた。みんな笑顔だった。笑顔の人たちと一緒に、塩漬け天日干しを焼いた、飛び上がるほど塩辛いイワシとたくさんの白ご飯でお腹を満たした。
宿舎の地下タンクに溜まった雨水を手動のポンプで一杯ずつバケツに汲み上げて、ボロボロながらその地域ではとても貴重な洗濯機に雨水を放り込んで洗濯をする。洗って絞って乾かしてみたら、白いTシャツが明らかに薄茶色になっていて、それが洗濯した後のシャツなのかどうかわからなかったけど、とびっきりのお日さまの熱量をたっぷり含んだ洗濯後のTシャツの着心地は最高だった。
陽が落ちて薄暗くなり、電気が欲しい時間帯に電球が点かず、今日も停電であることを確認する。宿舎にあるろうそくにみんなで1本ずつ火を灯して、あごの下から顔を照らしてふざけ合う。ろうろく持ち係の火を頼りに、庭で適当に火を起こして適当な食材を焼いて、笑顔のみんなと食事をする。
生活上のインフラやモノは圧倒的に不足していたけど、そこには経済的なものや金銭の多寡では説明できない、手触り感のある豊かさがあった。
その豊かさは、平和と多様性を思い出させてくれる。
学生時代、大学を1年休んでフィリピンの山奥でボランティア活動をしていた。世界の経済格差について学んでいたぼくは、「貧しい」と言われる国が一体どういう場所なのか自分の肌で体験したくて、自分にできることがないのか確認したくて、当時目の前で始まろうとしていた就職活動を休止し、フィリピンの山奥で濃密な時間を過ごすことにした。
1年間所属させて頂いたNGOの宿舎には、フィリピンの色んな地域・島から来たスタッフが集まっていて、公用語であるタガログ語・英語だけではなく、各地域の主な言語(イロカノ語、セブアノ語、パンガシナン語etc..)が飛び交う。主要言語だけで8つ。フィリピンにある言語全てを数えると100を超えると言われている。
性格もほんとに色々で、「箸が転んでもおかしい」を体現したようにちょっとしたことでいつもゲラゲラ笑っている人、基本的にゴロゴロしてる人、いつもお菓子を片手にしゃべりまくる人、寡黙な真面目タイプまでほんとに色んな人たちに混じって、異国から来たぼくもその場の多様性に一役買っていた。
そこは、多様性という言葉をそのまま体現したような場所で、何か一つの共通した属性を探すのが相当に困難なマイノリティ集団ながら、同時にみんなの笑顔は一様に素敵で、平和だった。
一部のタガログ語と英語しかできなかったぼくのコミュニケーション範囲で知りえた情報は限定的であった可能性は否めないけれど、少なくとも1年間共にどっぷりと時間を過ごして見えていたのは、多様性と、マイノリティでも安心して過ごせる平和な世界だった。
noteで「INFJ」型という性格分類について書かれた記事を拝見し、そこには自分のこととしか思えない記述があり、同様の性格診断(MBTI)をしたところ自分も見事に「INFJ」型だった。そのことをご本人にコメントしたところ、INFJ関連で何か書いてみてくださいとのことで、今回の記事を書いている。
この性格の特徴としては「平和主義」で「理想主義且つ計画的」で「穏やかな話しぶりながら強い意志を持ち」、「人助けを人生の目標とし慈善活動を行ったり」、「決断力や強い意思を個人的利益のためには使おうとせず、バラスンを作るために使う」とある。
そして、一番印象的だったのは、「INFJに分類されるのは、全人口の1%未満」という記述だった。
このマイノリティ宣告は、「もっと自分も『普通』であればいいのに」と思って過ごしてきた(特に若い頃の)日々をそのまま代弁してくれているようで、自分の中にストンと落ちるものがあった。
学生時代から現在の仕事まで一貫して海外と関わってきたのも、「異なるもの」に触れることで、自分のマイノリティさを追認したかっただけなのかも知れないと思う。
マイノリティが、マイノリティのままで安心して過ごせる平和な場所、多様性が担保された場所を実現したいんだろうなと改めて思う。
理想だけでも現実だけでもない、自分だけでも他人だけでもない、そんなバランスの取れた場所を、多くの人が安心できる居場所を実現したいんだと思う。
成功とか、努力とか、成果とか、評価とか、そういうものは一旦脇に置いておいて、少なくとも排除されない、ただそこに居ることをゆるく承認し合えるような居心地の良い場所。
そんな居場所をイメージしていたら、あの塩辛い焼きイワシを思い出した。
経済的には貧しいけど、あの飛び上がるぐらい塩辛いイワシさえあれば、みんな笑顔でお腹一杯になれる。安心してそこに居ることができる。
平和で、多様性の担保された場所。
あの塩辛いイワシのある場所を思い出したら、
自分の原点に戻ってきた気がした。