「ここ」にあるよ
「それ、ここにあるよ」って、足元のカタツムリが教えてくれた。
緑、茶色、黒、橙、茶色、朱色、黄色、黄緑といった豊かなグラデーションに彩られた一枚の落ち葉にカタツムリがぴたりと寄り添う。それは、まるで「ここ」にある足元の多様性と美しさのありかをぼくに指し示すように。
今朝、小学生の娘と2人で家の近所を自転車で「散歩」した。娘とのルールはただ一つ、「今まで通ったことのない、知らない道だけを走ること」。そのルールをぼくに告げるとすぐに玄関に向かって靴を履く娘の姿から、知らない道を行くワクワクが伝わってくる。
今住んでいるのは一通りの生活インフラが整った、決して不便な場所ではないけれど、同時に豊かな自然の残る場所だ。玄関の扉を開ければ海が見えるし、ベランダからは雄大な山々を眺めることができる。ベランダから足元を見下ろせば、郊外型のお店たちの総面積を上回るに十分な田んぼや畑に囲まれていて、車で20分ほど行けば大自然の渓流を楽しむことだってできる。
2人で自転車に空気を入れて出発。家から走ること5分、早速知らない道に入る。通ったことのない住宅街、「うわ、ここも行き止まりやん」と言いながら、引き戻す坂道を気持ちよさそうに下る娘の颯爽とした顔。
知らない道だけを走っていると、いつも「ここ」にあったのに見えていなかった自然に出会う。
立派に育った唐辛子。とっても大きい。1本の唐辛子で大人の親指2本分はある。
順調に育つ柑橘類、品種は何だろう。一つ一つがソフトボールぐらい大きくて、外観からもわかるパンパンな姿に溢れる生命力を感じる。
この田んぼ。まばらな植え方が不思議。もうそろそろ収穫間近なんだろうな。
彼岸花の赤が力強い。大きく外に外に広がる様子が、スキューバダイビングでみかけるカサゴみたい。
家から自転車でほんの少し走っただけで、自分の知らない景色がこんなに沢山。普段から見えてるはずが見えてない景色がこんなに豊かに広がってるんだなーって思うと、
普段から嗅いでいるはずの緑の匂いがなんだか少しその濃さを増した気がして、ちょっと嬉しくなってきた。
引き続き知らない道を行く。
すると、うっかり知っている道に出てしまった。そこは近所で由緒ある神社に近い場所だとぼくは知っていて、神社にお参りに行こう!と提案したものの、そこは娘も行ったことのある場所。今日の自転車散歩のルールに反すると、やや不満そうだ。やめておこう。
別の知らない道を行く。
豊かに実る稲穂の姿、そして緑の香りと田んぼの泥の匂いが、収穫時期の到来を教えてくれる。
こういうの、なんだか豊かだなーと思って、曲がりくねった、通ったことのない道をもう少し進んでいくと。。
行くのをやめようとさっき言ってた神社の入口、大きな鳥居が目の前に現れた。驚いた。
2人顔を合わせて笑ってしまった。
近所なのに道を全然知らない。この偶然に観念した娘、お参りしようということになった。
真夏の猛暑も和らぎ、曇り空も手伝って神社の参道を歩くさわやかな風が心地良い。
普段、休日の娘との遊びといえば、おそらく無意識にイベント的な何かを求めていた気がする。海に行く、アスレチックに行く、BBQをする、車を走らせて登山に行く。まとまった休みには海外旅行にもよく行った。
足元の「ここ」にある美しさをじっくり見ようともせずに、その観察を楽しもうともせずに、どこか「むこう」に楽しさを求めてたんだなーと思いながら参道を歩いていると、足元に一匹のカタツムリがいた。
カタツムリが寄り添う、グラデーション豊かな一枚の落ち葉を見て、これはほんとに美しいと思った。それは自然の持つ一様ではない美しさと時間経過のもたらす豊かさをシンプルに表現している気がして、文字通り足元にいるカタツムリが、「ここ」にある足元の多様性を教えてくれた気がした。
多様性も美しさも「ここ」にあるよって。
参道横にある、水の枯れた用水溝に咲く、珍しい葉を持つ花。
参道脇にある、真っ白い立派なキノコ。
そんな、多様な自然の豊かさを娘がどんどん見つけては写真に収めていく。
そっか、娘にはいつも見えてたんだな。
この足元の多様性が。この美しさが。
美しい落ち葉に寄り添うカタツムリを見つけたのも娘だった。
「めっちゃ楽しかった!」
「楽しかったねー。また行こう!」
今度も同じルールで行こうな。通ったことのない、知らない道だけを行く。そしたら、知ってるはずの世界に繋がるから。
足元にある多様で美しい世界に繋がるから。
ありがとう。
今日は楽しかった。