小さき声
1か月ほど前に突然ひらめいて
創りはじめたシリーズ"small voic e"
絵を描く時に使う紙パレットの上では意図せず絵の具のセッションが始まっている。
無造作に使うため、自分では想像できない色が生まれている。
描いたものより紙パレットの方が作品として成立するのではないかと思う事がしばしある。
紙パレットは使えるギリギリまで使う、乾いた色に違う色をのせてと繰り返していくうちに、絵の具に乾いた絵の具のカスのような物が混じり出すと
そろそろペリっとめくる目安にしている。
ゴミ箱に捨てるのももったいない、切り取ってコラージュのようなものをつくったこともあるけれどどうもちがう。
何かに使いたいと常々思っていたところ、先月京都に大雪が降った。
わたしは無類の雪好きで興奮し部屋の出入りを繰り返しいると気温の変化か、謎の大頭痛に襲われた。
正直もう死ぬのかなと思って、みんなへ感謝の意を唱えていた。1時間ほどでロキソニンの効果もあり、大頭痛は和らぎわたしは生きていた。
その変遷を経て、朝いつものように机に座り、ふと紙パレットに残った絵の具のかたまりをめくってみた。その感覚が気持ちよくて、めくれそうなところはめくってみる。
机の上には絵の具の小さなかたまり。
よくみると、それぞれおもしろいかたちだ。
いつも使う紙にそれらを感覚的に置いてみる。置いていくうちに、かたまりがこっちがいいとおしえてくれる。
わたしは何がなんだか分からないが、おもしろくてわくわくした。
引き出しにしまっていたボンドで貼ってみる。
これおもしろいのでは!
その日からほぼ毎日、このシリーズを創り続けている。ピンセットと爪楊枝は必需品だ。
絵を描かないと、紙パレットにかたまりは生まれないため一石二鳥?かもしれない。
とっても小さな作品。
爪楊枝の先ぐらいのかたちのかたまりも、またあたらしい在り様に変わっている。
このシリーズに名を付けたいと思ったとき、"small voic e"だった。eが離れているのは最初に文字打ちした時になぜか離れていたから。直さない、正さないことも大事なことのようにおもう。
(場面に応じて)
大多数の声、大きい方、多い方が事を進めるときには有利な世の中。
でもほんとうにそうなのか、声が小さくても少なくてもたいせつな事がきっとたくさんある。
わたしはそれを感じている。
小さな声。
わたしは聴きたい。
野生の女