やさしいぼうし。
「やさしいぼうし」として、思ったことをつづる場所
突然ですが。 note始めます。 普段はInstagramで発信していますが https://www.instagram.com/yasasiibousi_/ 子どものころから文章を書き連ねるのが好きで Instagramで書ききれないことも こちらだと表現できるのでは?と。 ただいま、人生初のイベント出展に向け 日々編みまくっているので その気分転換と 人生初、ってタイミングで 新たな場所を開拓してもいいかな?なんて思って。 昔から「思い立ったら即、実行」するんです(
昨日まで、旦那と旅に出かけていたので 1日遅れのニットの日 😅 旅に出かける前に編み上げた 木玉毛織さんのガラ紡糸で編んだぼうし、 ライトブルー とブラウン を minne にアップしました🎵 私は、自らのことを 編むということに特化した 編み物職人だと思っています。 ニッターとして 寝る間もなく編んでいた時代は クライアントの仰せの通り 例え、それが理不尽な要求でも 全力でお応えしていました。 現在の私が編むぼうしは 自分が心底、納得した素材で 納得できる形状に
松江の、イマジン珈琲店 2階をお借りして開催することになった 「やさしいぼうしのあみものたいむ」in松江。 記念すべき、第1回は4名の参加がありました😂 私ひとりきりじゃなかったー よかったー😹 これが店先に掛かっている間が 開催中の合図です♪ 今回、参加してくださったのは 松江のお友達ふたり、はじめましての方が、おふたり。 それに加えて 偶然お店に来たお知り合いの方が ふらりとのぞいてくれたり♪ みんな、思い思いに おしゃべりしながら 美味しいコーヒーも飲みながら
久しぶりの投稿となってしまいました。 時間の使い方をもっと考えなければ、と 反省しきりの2018年。 明けて、2019年。 長年考え、温めてきた思いを形にすべく 先日、Facebookページを作成し 同時にInstagramでも『決意表明』をして 退路を断ったところです(笑) 温めてきた思いを形にしていく方法として ふたつの方法に取り組むこととしました。 そのうちのひとつが、私が相手の元に出向いて 一緒に編み物をする、という「出張」です。 なぜ「出張」なのか? きっか
今回のイベント、 手づくりフェアin広島 https://www.hiroshima-tedukuri.jp/ に 私はminneの作家として出展します。 イベント出展に関する窓口は、手づくりフェアin広島実行委員会ではなく minneのイベント担当です。 出展当落メールが来るのは9月7日、と書かれていました。 でも、その日何度もメールチェックしたけれど 当日だけでなく、その後も音沙汰なく。 なにせこちらは初めてのチャレンジ。 そうか、そんなものなのかなぁ、と 今回はご縁がな
同じ病気と闘っていた彼女が旅立った、と 彼女のLINEアカウントを使って 妹さんが知らせてくれました。 彼女とはInstagramで知り合いました。 左が私、右が彼女。念願だった初対面が叶った、今年9月の写真。 彼女の闘病は2016年3月から。 次男君の授乳中に、乳腺炎だと思って受診したのが始まりだったそうです。 まもなく術前抗がん剤開始、10月に全摘、リンパ郭清手術。 その後、放射線治療、経口抗がん剤服用を経て 2017年7月、一連の治療が終了。 なのに、8月には再発と
私は、小さな頃から実母が苦手です。 決して嫌いなわけではありません。 最大の原因は 母が『世界は自分を中心に回っている』と 無意識のうちに思っているから。 だからとても過干渉で 子どもの頃からそれに辟易としてきました。 成長し、高卒で就職したのも 一刻も早く経済的に自立をし その過干渉から逃れたかったから。 実際、就職2年目でその思いを実現させて 物理的な距離を保てるようになってからは 以前のように衝突することは激減しました。 時が流れ。 母も私も歳を重ね 私も病を経験
11月10日(金)、11日(土)に開催されるイベントに向けて 自分なりにスケジュールを組んで 毎日、準備に励んでいます。 帽子屋にぼうしがないと 本末転倒。 買ってもらえるかどうかは別として とにかく、ひたすら編んでます。 超シンプルだけど とても手間のかかる、私のぼうし。 なにせ使っている棒針は2.5ミリ針なので(苦笑) だけど 私のスキルmaxで、丁寧に そしてできる限りスピーディーに。 それは、普段から変わらないこと。 明日から、旦那の運転で 私の母を連れて 2
2007.12.30「とっても嬉しかったこと。」http://plaza.rakuten.co.jp/knitterfuwa/diary/200712300000/ これは私が、子育て全盛期の頃につづっていた ブログの1ページです。 大げさでもなんでもなくて 私は、このひとことがあるから 何があっても大きく打ちひしがれることなく 生きていけているのだと、確信しています。 とっても大切な出来事だったので こちらにも記しておきます。 自分自身のために。
2018年、私は50歳という節目の歳になりました。 以下は2015年、私が 乳がんという病気の手術を前に記した文章を 少々編集したものです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1992年に母親にならせてもらって以来、私は 自分自身の意思で、育児に全力投球してきました。 それが一段落した、と実感したのは 長男と次男が相次いで家を出てから。 それからしばらくの間 私が現世でやるべきことは すべてやり終えてしまったのではないか、 そういう思いにとらわれ続けていました