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「怖い」の正体

昔、公園で弟の靴が隠された。私は小学生で、弟は小学校に入るか入らないかくらいだったと思う。

弟は自閉症である。今は、あまり喋らないこと以外は普通の人とほとんど変わらないが、子供の頃は本当に色々と手がかかっていた。両親は大変な苦労をしてきたと思う。

その日は家族で市民プールに泳ぎに行って、その帰りに同じ敷地内の公園で遊んでいた。弟と私はすべり台で遊んでいて、弟は靴を脱いですべり台のそばに置いていた。周りにはほかの子供達も何人か遊んでいた。

しばらく遊んでいると、近くにいた男の子(弟と同い年くらいだったと思う)が声をかけてきて、「靴隠してやったんだ、あいつ変だから」と言われた。最初は何のことかわからなかったが、弟が靴を探していたので弟のことだとわかった。

私も幼かったのでその子になんと言えば良いのかわからず、とにかく靴を探そうと思って、その子には特に返事をせず靴を探し始めた。靴は近くの砂場に埋まっていた。

私はこのことを両親に報告しに行った。母が鬼の形相で靴を隠した子のお母さんに激怒しているのをただ見ていた。

弟は幸福なことに今までこういう経験をしたことがなかったから、このときは深く傷付いていた。そこはよく行っていたプールだったけれど、弟が行きたがらないからそれ以来一度も行っていない。


両親と私と3人でドライブしている時にふと思い出してこの話をした。それで、あの子に何と言えば良かったか今でもわからないと話した。

そういえば、と言って父も昔話を始めた。


父には従兄弟がいる。父より6つくらい年上で、一人っ子の父は兄のように慕っていたそうだ。

その従兄弟がある日、「こんど怖いところに連れて行ってやる」と言って家から見える山を指差した。

山の上には肢体不自由の人が暮らす施設があった。従兄弟が「あの山の上は怖いところなんだぞ、こんな人がたくさんいるんだ」と言って肢体不自由の人の動きを真似して、幼い父にはその動きが魔物のように見えて本当に怖かったそうだ。

父は幼く、知識もなかったから、ただ「山の上には怖い何かがいる」というイメージだけがしばらく残った。

それから月日が経ち、父の母が、その施設の子供達が書いた詩集を持って帰ってきた。従兄弟とのやりとりを知っていたわけではなく、偶然のことである。

父はそれを読んで驚いたそうだ。なによりも「自分と同じ心を持っている」ということに。知的障害ではなく身体障害だからそれは当然なのだけれど、子供だからよくわかっていなかったのだろう。

その詩集を読んだ後には施設の人達に対する恐怖心も消えていた。


弟の靴を隠したあの子も、靴を隠すことで弟が何者か知りたかったのだろうか。せめて弟が深く傷付いていた姿を少しでも覚えていてくれれば、と思う。



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