現代版ゾンビたちは【すきま時間】を使って幸せになる方法を選ぶことにしました。
ところで、ある偉い人はこう言った
幸福な人間とはすきま時間の使い方からして結構その、違うんちゃうの
間違えた。これは街頭インタビューで取材受けた知らん関西人の言葉風にアレンジした私の独り言だ。でも案外真理だと思わないだろうか。どうなんだ。
どうなんだおい?!(何故か喧嘩腰)
私は思うのだ。近頃の人たちはみんなせかせかしている。具体的にあいつが、ってことではないけれど。町全体の空気がそう言っている。
空気「忙しいので」(ATフィールド展開)
そう言う人たちを見ると、どうしたんだそんなに息巻いて生き急いでまあまあ待ちたまえよ、と珈琲の一杯でも奢ってやりたくなる。その善行が巡り巡って奢られたいだなんて一滴も思っていない。私は缶コーヒーで十分だ。
私は奢られたい
私が思うにその手で持っているちっこい電子端末が原因だと思っている。
せかせかの原因である。
例えば電車を待っている人、電車の中で目的地が来るのを待っている人、恋人を待っている人、ただただ時間が過ぎるのを待っている人。みーんな持っている。見つめている。
みんな目の前の現実になんて興味なさそうで、つり革の形も座席の色も何も見ていなくて、代わりにつかれたようにその端末を見つめている。疲れてるし憑かれる。ゾンビ。現代版ゾンビ。
ほらそれそれ、今君が持ってるやつだよ。(ここで指差す)
すまん、パソコソユーザー (ところでこれが”パソコン”と読めたら、君もゾンビの仲間入りだ。ウヘヘ)
話は逸れたが、ハナシとナハシってとてもとても似ている。ナハシは勿論、沖縄県の県庁所在地のことだ。つまり話は逸れているってこと。
もし君がちょうど辞書編纂者でちょうど「脱線」の定義を任されたらぜひ例文に載せたらいいじゃないか。つまり話は逸れ続けているってこと。
閑話休題
さてすきま時間は大事だよね、という話をしていた気がする。
そもそもこの文章を読んでいる君はすきま時間の使い方としてどうなんだ?って思うよ。でも一言だけ言っておく。ありがとう。39。ってね。
二言
最後に真面目なことを言わせてほしい。すきま時間を制する人が幸せになる理論は本当に存在する。ポイントもある。
「すきま時間の使い方は先に決めておく」、これだ。
それも余った時間別で具体的に決めておく。これだけで君は幸せの一歩を歩き出したことになる。本当かよすげえな。例えばこうだ。
「5分余ったら、やることを整理する」
「15分余ったら読書する」
「30分余ったら読書か、運動か、ブログを書く」
こんな具合だ。効果は私が保証する。
どうだろう、これなら出来そうではないか。
理論武装派のために理由も添えておこう。
人間が疲れるのはいつか。それは無数にある選択肢から1つ選ぶ時だ。人生は選択の連続と言うではないか。大変だ。だって選択が続くととっても疲れる。選択を放棄して端末の虜になるのもわかる。ゾンビになるのは現代の必然だ。
だから、あらかじめ選択肢を絞るのだ。
そしたら悩まない。ゾンビにならない。ちょっと幸せになれる。
ある偉い人はこう言った。
人は自分を支配したとき、初めて幸せになれるんちゃうの
読者諸君、君も幸せになったらええんちゃうの。
ご拝読ありがとう39。