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本当の自分を知るのは他者かもしれない

あのですね、かねてから思っていることなんですが、ここに「私」という人間が居るとして、私は私のことを一番よく知っています、よね???。

「私は、これこれ、こーいう人間である。」と、私自身は思ってるわけであります。

が、実は、他者は「私」をそーいう人間であるとは、思っていない可能性が高い。

なんか、ややこしくなりましたね。

えーと、では、本文を書いている私が自分自身を紹介してみましょう。

「私は、人見知りで、人前に出るのが苦手です。後ろでちょこちょこしているのが性に合います。主人公にはなれないタイプ。本質的にケチで短気。細かな仕事が苦手。面倒くさがり屋。出不精。陰キャラかも」

次に、知人による「私」という人間です。

「誰とでも仲良くなる。コミュニケーション能力が高い。話を合わせるのが上手。人を巻き込んで色々やらかすのが好き。目立ちたがり。よくおごってくれる。人を使うのが上手で、ついつい乗せられてしまう」

どーです、これ。同じ人間とは思えませんよね。どちらの「私」が正解??? もしかしたら自分よりも、他人の判断が正解なのかも知れないぞ。

こんなことを思った原因があります。昔のことです。

ある職場に居た先輩社員が非常にケチな人で、周囲はみんな「ケチオジサン」と陰口を言うほどの人だったんですね。やることなすこと、相当にケチで、さもしいんです。

「職場の皆さんでどうぞ」といただいた取引先からの差し入れを、さっと鞄に入れて家に持ち帰ってしまう早業ぶり。当時のことですから、仕事で外出したら日報に交通費を記載するのですが、全然違う遠回りコースを書くんです。交通費を高くとろう作戦ですね。

ある時は、休みの日に家族総出で遊びに行き、そのガソリン代を請求してきました。理由は、「取引先に立ち寄って営業してきた」からとのこと。

ある日、このオッサンに同行して取引先まで。直帰なので帰りにちょこっと飲みながら打ち合わせを、となりました。駅近くのドトール。

なんと、このオッサンがおごってくれたんです!!!!

しかも「自分は気風の良いイイ男だろ」と、ご本人が真剣に思っていることが判明したんですよ。取り留めのない話の中で「俺は他の男とは比較にならないほど気前の良い男気のある人間なんだ」だそうです。

つまり、ケチオジサンは、自分がケチだとは全く思っていなかったのです。

オジサンに対する評価は、おじさん自身よりも周囲の人たちの方が正解ではないのか? 

人間は、自分が思う自分という存在よりも、第三者から見た自分の方が正解なのかもしれないなぁ。

となると、私が知る私自身よりも、周りのおっちゃんおばちゃんから見た私の方が、本質なのかも知れぬ。他者という鏡を通してこそ自分が見える。

じゃあ、自分って、いったい何なのさ。
これって、なんだか怖くないですか?