北海道で出会ったタクシー運転手さん
昔の話です。たぶん22~23年前かな。
酷暑真っ只中の8月。北海道出張が入りました。たった一泊だけど、札幌の高級温泉ホテル宿泊という美味しい条件付き。当時飛んでいた日航ジャンボ機で、生まれて初めて降り立った広い大地。
新千歳伊空港から札幌まではタクシーを利用。仕事内容はインタビューでした。仕事を終えて翌朝。飛行機の時間は9時です。6時過ぎでしたか、朝食を済ませてホテルの玄関へ。
あいにくタクシーは待機していなかったのですが、ホテル前を通りかかったタクシーが、私を見つけて。おそるおそるという風にバックして玄関に入ってきました。
「空港までお願いします」
「は? 空港って?」
変な運転手さんです。ぼけーっとして私を見つめているんです。
「新千歳伊空港です。高速を使ってください」
「はい! ありがとうございます!」
勢いよく答えると、タクシーを走らせました。
「お客さん、ここの温泉どうでしたか。質が良いので有名なんですよ。いつ北海道に来られたんですか。乗っていただいた記念にパンフレット差し上げます。どうぞ」
矢継ぎ早に興奮した様子で話しかけてきます。内心、しまった、変なタクシーに乗ってしまったぞと思いつつ外交辞令で返事をしていると、
「空港行くの久しぶりなんです。私らね、小型車ですから基本料金590円のお客さんを3人こなすと、もう1時間経ってるんですよ。毎日そんな仕事を一生懸命やってるもんですから、空港までのお客さんなんて3年ぶりですわー。嬉しいなぁ」
おお! これは、純粋に感激してくれていたのですね。
「お客さん、お客さん、ほらっ、右のマンション見てください。上から2つ目の窓のとこ、柱が折れてるでしょ? ね、ね、すごいでしょ。7年前からあーなんです。だからね、お客さん。まだ二軒しか入居してないんですよ。7年前から入居者募集の垂れ幕してますが、誰も入るわけないですよねー」
確かに、柱の折れたマンションをそのままにして入居者を募集し続けるオーナーとはどんな人物か、興味のあるところではあるが、それを無邪気に教えてくれる運転手さんの素朴さに、ほのぼのとしたものを感じました。
パチンコ村やら、中古車通りやら、地元の人しか知らない街の情報をたっぷり教えてもらいながら走るタクシー。メロンやカニなどの名産を市価の3分の1で買う方法、冬の暖房費の値段から中年婦人のお誘いに閉口した話、シカやキツネの交通事故も知りました。
車はキンコン鳴らしながら(つまりスピード違反)高速をひたすら走ります。
「タバコ吸ってもいいですか」
当時、私はスモーカーでした。
「どうぞ、どうぞ。うちの由美ちゃんも吸うんです。ダイエットになるからって言ってね。あ、由美ちゃんって私の奥さんです。今更ダイエットしても無駄なほどコロコロしているんですけどね」
私は、運転手さんが中学を卒業して今の会社に入り、社長の好意で夜間高校に通わせてもらい、整備士の資格をはじめ、様々な免許を取得したことや、由美ちゃんとの間に生まれたお子さんのこと、数年前にローンで家を建てたこと、飛行機に一度も乗ったことがなくて、北海道の外に出た経験もないことなど、すっかり彼の今までの人生を知ったのでした。
新千歳空港に到着し、一万二千なにがしかの料金を払いました。タクシーを降りて直立不動した彼は、
「お忘れ物はありませんか!」と、大声で言ったあと、今度は小さな声で、
「実はですね、空港って言われたときに、しょんべんチビリそうになったほど、嬉しかったんです」
彼の、90度直角のお辞儀をあとに、私は空港ロビーに向かいました。
私たちが何気なく利用するタクシーの運転手さんにとって、どんなお客さんを拾うかで1日の売り上げに大きく影響しますよね。東京なら、1万そこそこのタクシー料金は結構あり得ます。
私があのタクシーに乗ったことによって、もしかしたら彼は1週間ほどは幸せな気持ちで居てくれるかもしれないなぁ。そう思うと、私もなんだか嬉しくなったことを覚えています。
この取材旅行は私にとって初めての北海道でした。
しかし印象に残ったのは、インタビューさせてもらった人ではなく、というか、その人の名前も忘れてしまいました。それほどに、帰りのタクシーの運転手さんとの出会いが強烈過ぎて、今も忘れられない北海道の思い出です。
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若者文化真っ盛りの1990年代、バブル弾けて住専破綻してオウムが暴れた激動期に書いたアレコレを中心にまとめました。当時の「大人」視点であり…