「いや」の環境に適応する
「いや」という感覚は
生まれて間もなくから、だれもが経験し続けています。
おしめを変えてほしい、さむい、
人間関係が辛い、疲れた、
なにがいやで、なんでいやなのか、
赤ちゃんは命の危険があるので、泣くことでいやを表現します。逃げられる環境がととのっていないからです。
同じように作物も「いや」を感じます。
乾燥や湿気、低温、
虫に食べられた傷、強風雨、
多くの「いや」を感じています。
人間と大きくちがうことは
その環境から完全に逃げられないということです。
作物はその「いや」の環境に適応しようとします。
適応した結果、その環境をすきになるか、
その環境そのものになるか、のどちらかです。
乾燥が強いと、水を求めて地下深くまで根を伸ばします。適応できると、環境に適応した体で、その環境で育つことを好みます。
根を伸ばせない、適応が難しいと、残渣となって自らでその環境をうるおします。
また、栄養過多の場合もあります。
あたえられる環境なので、作物に本来ある自ら獲得していく主体性がなくなっていった結果、病原菌を呼んだり虫に食べられたりします。それもその環境への適応です。
種をまいたら育つようにみえて、植物が環境に適応することは意外と難しくて、順調に成長することは奇跡のようです。
また、雑草にもつよい環境適応があります。
本来の生存力がつよいので過酷な状況でも確実に繁殖するために環境適応します。
雑草は踏まれてもある程度は起きあがりますが、2回も3回も踏まれたら、生きていけなくなると判断します。
その段階で成長することをとめて、種を残す準備をします。その潔さが繁殖力をつよめています。
わたしたちは作物のような適応力も雑草のようなつよさも、求める必要ないです。
求めなくても、そのような力はもともと持っています。自然にできています。
ひとつ、植物よりつよく持っている力は、
心でも環境適応しようとすることです。
植物と違って、わたしたちは心の適応がとても得意だからです。
行動で回避できない、適応できないような
「いや」を一ヶ月我慢していると
「その環境で、いかに快適に過ごせるか」
という回路で考えはじめます。心の環境適応です。
その時に「いや」がなんだったか忘れようとして、違うことに目を向けます。
ちがうことに目を向けるのは行動ですが、
その行動のきっかけは、心の環境適応です。
行動と心、両方で「いや」に適応しようとすることは、過剰適応になってしまいます。
過剰適応になっているときは、なにがいやで、なんでいやなのかがハッキリしていません。
自分のこころを押し込めてしまいそうになった時は、そういえば人間だったということを思いだして、
過剰適応になっていないか、
なにがいやで、なんでいやなのかがハッキリしているなら、
「いや」を忘れないことが、ほんとうに生き残れる選択、行動につながります。
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