見出し画像

「いい子症候群」を53歳の中年オヤジが肯定的に考えてみた

いい子症候群とは、『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち 』金間 大介 (著)に紹介されている現在の大学生像であり、端的な言い方をすると「素直でいい子」「まじめでいい子」のことを言う。

症候群というのは、はっきりした原因は不明だが、いつも必ず幾つかの症状が伴ってあらわれる時、病名に準じて使う医学用語のことで、「素直でいい子」「まじめでいい子」であることは深刻であるという警鐘が鳴らされていると理解できる。と言っても、警鐘を鳴らしているのは、「大人」であるから、要は、自分たちと違う若者を理解できず、主体性のなさを指摘するために、「症候群」と名付けたと言える。

大人から見たら、「いい子症候群」はプラスに捉えることができない反面、彼らなりの生き方の方向性というものもある。この記事では、53歳の中年(大人である)から、「いい子症候群」を肯定的に考えてみたい。



いい子症候群の特徴

・周りと仲良くできて協調性がある

・清潔で爽やか

・横並びが基本

・5人で順番を決める時は、3課4を選ぶ

・人の話を聞くけど、自分の意見は言わない

・ルールに従う

・リーダーにはなりたがらない

・明確にやりたいことがあるわけではない

なんとなく、今時の若者像を想像できるのではないだろうか?

まぁ、この手のタイプが部下にいると、上司(大人)は「やる気がない」と評価をしがちである。いい子症候群というのは、積極性に欠けているというのが、その症状になっているように思う。



人生に積極性は必要か?

いい人症候群の逆を行くとなると、

・競争が好き

・1位を目指す

・自分の意見をはっきりと言う

・ルールを変えてしまうくらいの積極性がある

・リーダーシップがある

・目標が明確である

ということになり、いかにも企業では好かれそうな人材になる。

ところで、何故、企業に好かれる人材になる必要があるのか?

それは、

・出世をして、

・給料が上がり、

・生活が豊かになり、

・子どもの教育にもお金をかけることができて、

・やりがいのある仕事ができる

ということになろうか。大人が理想としてきた人生である。

しかし、「仕事にやりがいなんて必要がない。遅刻も欠勤もしてないし、普通に仕事をしているので給料はもらって当然。妻も仕事をしているので、出世して給料を上げようとは思わない。この考えって、誰にも迷惑をかけていないし、なんかおかしいですか?」と言われたならば、大人はなんと答えればいいのだろうか?

僕としては、「その通りです。何もおかしくはありません。」と答えるしかないけど、一緒に仕事をしたくはないと思う。僕はフリーランスなので、仕事の発注相手を選ぶことができる。しかし、会社員だと部下は選べないことが多いし、やる気がないという理由でクビにすることなどできない。



積極性があればいいのか?

僕は現在53歳で、若者と言われていた時代には、リゲインが「24時間働けますか?」というC Mを放映していた。だから、盲信的にがんばることを受け入れていたのだけど、その結果は、どこの会社でもそんなに出世をすることができず、転職を繰り返した末に、会社員でいることが嫌になってフリーランスになった。細々と食えていることには感謝をしているけど、安定した立場でもないし、ボーナスや退職金などがないことを考えれば、特にバラ色の未来が待っているわけでもなく、仕事ができる間は仕事をしようと思っている。

特に積極性がなくても、共働きの家庭なら、おそらく僕の年収よりも多くなるだろう。これは、旦那が正社員で奥さんがパートという構造の家庭も同じで、もしかしたら、正社員夫婦の方が安定度は高いかもしれない。

さて、いい子症候群の何が悪いのか?

日本の国力が落ちるとか、企業家が生まれないとか色々という人がいるけど、それは大人の過度な期待だろう。本人たちのことは本人たちに任せればいいわけで、僕らは未来に負債を残さないことに力を注げばいいのだ。



大人は大人らしく生きよう

「今時の若いものは・・・」という記述は、古代エジプトのパピルスにも書かれていたという話もあるらしく、大昔から大人は若者を肯定的に捉えられないらしい。

なぜ、大人が若者を肯定できないかと考察をすると、自分にはない輝かしい未来(要は若さと時間のこと)があるのに、それを活かすような行動をしていないと思うからではないだろうか。

言い換えれば、「がんばって、俺のようになれ」なのか「がんばっても報われない俺は、お前みたいな人間を認めない」とか、そんなことになるのではないかと思う。

ということを考えたら、僕ら、大人がやることは、自分の人生を納得感のあるものにできるように、日々生きることである。若者のことなど、気にしている時間はない。

若者もいずれは大人になり、その時には、夢ができているかもしれないし、何かに向かって頑張るかもしれない。

過去の成功体験が通用しなくなってきていることに、僕ら大人はなんとなく気付いている。先輩は60歳まで給料が上がりつつけ、退職金をたんまり貰って、おまけに年金までもらっていたのに、僕らは50代で給料が下がり始め、退職金は前払いで、自分で運用しろと言われて、年金は65歳からしかもらえない。

不満はあるけど、そうなってしまったのだから、仕方がない。厳しい世界で、僕らが生きていかなければならないのだ。

若者が大人になった時、どんな社会になっているのかは想像ができない。もしかして、ロボットがなんでもやってくれて、そもそも仕事をしなくてもよくなっているかもしれない。

仮に、若者がバラ色の未来を生きていたとしても、羨ましいと思わないので、日々を生きることが大人の流儀であると思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?