ヤスロウ

医療系の営業職、たまに製造もしたりしています。 気になった物を撮って、その時何を思ったかについて書いています。

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最近の記事

写真をやめないために私がやらない事

村上春樹のエッセイみたいなタイトルだけど、かつて一度やめた写真を続けられるように私が心がけている事がある。それは自分が「特別な何者かである」と思わない事。ここでいう「何者か」とは何かを表現する事で地位や名声があり称賛を浴びる人のことだ。 写真に生きて写真に死んでいった著名な写真家たちが何を考え写真に取り組んでいたのかに迫って自分もそうありたいと意気込んで写真を撮っていた。そしてそうなれないと気づいた時にすっぱり撮ることをやめてしまった。その時考えていたのは「自分がどうありたい

    • 新たな道具で小さな旅へ

      子供が産まれてから物がどんどん増えている。抱っこ紐や哺乳瓶、ベビーベッドなど今までの人生で買った事がない物が増えている。 先日待望のベビーカーが届いたので練習を兼ねて葛西臨海公園へ行ってきた。これは東京都の子育て応援事業、赤ちゃんファーストの制度を利用して購入した。納税者の皆さんありがとうございます。 そういえば子供と一緒にバスに乗るのも初めてだ。特に泣いたりもせず大人しく乗ってくれていた。バスの通路は先着のベビーカー2台ですでにいっぱいだったので畳んで乗る事にした。ベビー

      • ブラジルに触れた夜

        秋の一夜、Blue Note東京にてJOYCEのライブを観てきた。Joao Donatoが亡くなってしまった今、Joao Gilbertoなどと活動していたボサノバ黎明期の空気を知る数少ないミュージシャンだと思う(去年来日したMarcos Valleは81歳とは思えない元気さだったけど)。何せキャリアが長いので全ての作品は把握できていないけど1968年に発売されたファーストアルバムはLPでよく聴いていてブラジル音楽が好きになったきっかけの一枚。 そんな彼女の歌を聴くために南

        • 健やかな成長を祈る旅

          快晴の秋の3連休の中日、娘のお宮参りのために東京から地元の栃木県に車で向かった。チャイルドシートにくくりつけられて片道2時間の娘にとって初めての遠出となった。娘にとって初めてだけど親にとっても初めての事。ミルクとおむつだけは切らしてはいけないと入念に準備した。 妻は車に酔いやすいので酔い止めが必須。車内でスマホを操作しているのを見ると「大丈夫?」と声をかけてしまう。娘は嵐の東尋坊の遊覧船でも酔わないという私の体質を受け継いだのか車酔いしている様子はなかった。 チャイルドシ

          2024年上半期の事

          もう小学生の夏休みが終わる頃だけど今年の上半期を振り返ってみる。今さらだけど月日は百代の過客なので仕方ない。 何より今年は子供が産まれた事が大きい。間違いなく人生最大の出来事だった。 というより現在進行形で毎日が大切な日々を更新している。 1月元日に栃木の実家に帰省した。兄の子供達に数年ぶりに会ったが見違えるほど大きくなっていた。以前会った時いちばん下の甥っ子はまだ赤ちゃんだった気がするが、祖父である私の父と将棋を打てるほど大きくなっていた。初めてお年玉を上げたが兄の前で大

          2024年上半期の事

          3人暮らしが始まった

          約一ヶ月の里帰り育児を終えて妻と娘が自宅に帰ってきた。娘は初めて自宅に来るので「やって来た」というのが正しいのだけど何故か帰ってきたという気持ちだった。 妻の両親にサポートしてもらい平日の仕事帰りに何日かと週末に私が妻の実家に泊まるという生活になり、娘の顔をなかなか見る事が出来ずストレスというか焦りを感じる一ヶ月だった。とても大事な瞬間を見逃しているのではないかという焦りだった。事実数日ぶりに会うと眉毛がしっかりしていたり首の力が強くなったりしていた。娘に会うより重要な事など

          3人暮らしが始まった

          面会の日

          入院中の妻と娘に会いに行った。 入院はほんの数日ですぐに妻の実家に移る事になるのだけど我慢出来ずに会いに行った。 面会時間の1時間前に病院に着いてしまい併設のカフェでコーヒーを飲んで時間を潰すが味などしない。早く会いたい。 受付を済ませて病棟のデイルームで待っているとカート式のベビーベッドを押して妻がやってきた。その姿を見ただけで鼻の奥がツンとなってしまった。 二日ほど会わないだけで娘の人としての輪郭がはっきりして来ているので驚いた。 私が会わない間に二人だけの絆のようなも

          妻が母になり私が父になった日

          「陣痛がきた気がする」と妻が不安げな顔でつぶやいた。 6月の日曜の夜、妻の実家に帰省していた。二日後に控えた出産予定日に備えて入院準備をするためだ。 20時ごろ夕食を食べようという時に妻がお腹が張って腰が痛いと訴えて、リビングをうろうろし始めた。しまいには立っていられずソファに横になり青い顔をしている。 妻が「まだ予定日前だし痛みも等間隔でなければ陣痛じゃないよ」と言いながら時間を計るときっかり10分間隔だった。陣痛だ。 私は全く心の準備が出来ていないが妻は予約していた陣痛

          妻が母になり私が父になった日

          3年目の記念日に撮る

          とてもよく晴れた5月の某日、三脚とカメラを担いで妻と2人で葛西臨海公園へ出かけた。3回目となる結婚記念日の記念写真を撮るためだ。 昨年はウェディングフォト(式は挙げていない)を撮ってもらった事務所の人に依頼して、撮ってもらったが何とも気恥ずかしかったので今年はセルフで撮る事にした。ちなみに葛西臨海公園には結婚にまつわるエピソードはなく、何となく拓けていて気持ち良さそうさだからとの理由で決めた。 レリーズを持っていないが今の時代アプリで何とかなるだろうと思ったら案の定Blue

          3年目の記念日に撮る

          静物を観に行った日の事

          5月の週末にイラストレーターの大庫真理さんの個展を観に行った。 東京都大田区にある古書店、タバネルブックスに向かう。 池上線の石川台駅で降りる。駅も初めてなら池上線も初めてだった。 駅前は高層ビルや派手なショップもなく生活の街という印象。 坂が多くて丘の上を目指して行くような道で、横浜の住宅街を思い出した。 住宅街を彷徨ってまさかこんな所に本屋があるとは思えない場所にお店が現れる。通りすがりでは絶対に気づかないまさに隠れ家的なお店だった。 それもそのはずで店主の女性が実家

          静物を観に行った日の事

          5年目のコロナ

          新型コロナに罹ってしまった。コロナ禍が始まって5年目にしてついに来たかという感じ。仕事柄各地の病院に出入りして様々な患者に触れるのでいつかは罹るだろうと覚悟はしていた。 Day1 火曜日に訪問先の病院から戻る途中嫌な悪寒を感じた。ああこれは風邪だなとピンとくる。帰社後まだ仕事が残っていたがどうにも体が動かなくなってきたので21時ごろ退社した。まだ平熱だったが明らかに熱が出る予兆があったため、解熱剤をリポビタンDで流し込み熱い風呂で汗をかいて就寝。だいたいこれでいつも症状を抑

          5年目のコロナ

          分からなければ調べる

          枝などの先端で行き場がなくなると「お天道様」に向かって飛んでいくためテントウ虫と呼ぶらしいけど、飛び立たずにしばらく居座ってた。 名前の由来をよく知ってるねって?Wikipediaです。

          分からなければ調べる

          群馬の温泉に行った話

          花粉舞う3月末に妻と一泊で群馬県の四万温泉に行って来た。 「しまん温泉」ではなく「しま温泉」と読む。群馬の温泉というと有名なのは草津温泉や伊香保温泉だけど、良さそうな宿を探していたら四万温泉がヒットした。300年以上の歴史があるという積善館という宿。「千と千尋の神隠し」のモデルになったとかならないとか。 温泉は好きでよく行く。山登りをしていたころ2〜3日風呂に入らず山から下りてきて入る温泉が格別で温泉好きになった。 自家用車は持っていないのでレンタカーで向かう。好天の週末に

          群馬の温泉に行った話

          銭湯と生ビールと蛭子さん

          自宅から徒歩15分ほどの所にある銭湯にたまに行く。スーパー銭湯ではなくいわゆる銭湯だ。一応温泉と書いてあるが薄めてあるらしい。近所というほど近くは無いけど中はきれいで風呂の種類も多い。刺青オーケーなので反社会勢力系の人もよくいる。 設備としては大絶賛するほどではないけど、休憩スペースにカウンターがあってなぜかここの生ビールがとても美味い。風呂に入るというよりここには生ビールを飲むために来ていると言ってもいい。風呂上がりというバイアスがあるにしても駅前の居酒屋よりよっぽど美味

          銭湯と生ビールと蛭子さん

          夜に撮る、夜を撮る

          仕事が忙しい。 忙しいアピールをするような大人にはなりたくなかったけどどう贔屓目に見ても忙しい。 「徹夜しないだけマシだ」「日曜休めるだけありがたいと思え」という竹やり攻撃を受けそうだけど営業職という仕事柄、毎日4時間以上は移動のために車を運転しているので寝不足は事故に直結する。 そんな日々でも毎日カメラを持って通勤の行き帰りに写真を撮っている。早朝暗い時間に家を出て夜遅くに帰路に着くため暗い写真が多い。昔のフィルムカメラの頃に夜間に手持ちで撮るためには高感度フィルムを使用

          夜に撮る、夜を撮る

          再びはじめて、続けていく事

          3月10日の晴れた日、念願のというか悲願のワークショップに参加して来た。 現在42歳の私は20代の大半をかなり写真に費やしていた。そしてぷつりとやめてしまった。 当時デジカメはまだ実用的なレベルではなくフィルムがメインだった。ボロアパートの自宅に暗室を作り、モノクロだけでなく自家カラープリントという酔狂な事もしていた。森山大道が1日フィルムを20本分撮ると聴いて、36枚撮りのフィルムを20本持って新宿を歩き回った事もあった(10本も撮れなかった)。しかしある時を境に撮る事が

          再びはじめて、続けていく事