とある歪な人間の自伝 その12
14 「悪そう」ではなくて、「悪い人」たちがいる世界
20代後半の女性と関係をもって、その半グレ彼氏にバレた!
普通であればわたしは間男のクズヤロウ。半殺しにあっても文句は言えない!
さあ、わたしの明日はどっちだ!?
って展開の何かが書けそうな題材なんだが、蓋を開けてみれば実のところそこまで揉めることはなかったんだ。
今回はその先の話も含めてすこし語ろうと思う。
わたしがその部屋から出ると扉の横にその男が立っていた。
金髪の短髪。ライダースーツのような黒革のジャケットに、金の無骨なチェーンのネックレス。
手首からは刺青がちらりと見えている。
その風体は如何にもといった感じだった。
肌を刺すピリピリとした殺気のような雰囲気は、本当によく覚えている。
まさに緊張の瞬間だった。
すっかり顔が強張って警戒してしまったのだろう。いかにもと言った感じの男が疲れたように小さく白い息を吐く。
それから頭を掻きながら目が合うと黙って「ツラ貸せ」と指示を受ける。わたしはそれに黙って従った。
夜の公園は悪そうな子供のたまり場となっている。
わたしはその人に友好的に肩を抱かれ、公園を黙って歩くと照明の下でその人がようやく声を出した。
「お前はなんだ?」と。突然のショートパンチが腹部に刺さる。
忖度なし、そして喧嘩慣れした良く響くパンチで思わず膝をついて涙目になった。
それでもその程度。すかさずサッカーボールキックで頭を跳ね飛ばされる。
痛いというよりパニックが先に来た。不意を突かれたからだ。
だけどそこからわたしの中でスイッチのようなものが入ると急に冷静になる。
「家出中のクソガキですよ」仰向けになりながらも何とか言葉を出した。
「クソガキ。あの女にタカッてんのか?」
「間借りしてる金は払ってる」
「あの女、ガキから金巻き上げてんのか」
「オレは客じゃねぇ!」
自然と声が出た。すぐに顔面を踏みつけられる。
ごきゅ、と頭の中で変な音が響く。耳の奥に残るそんな音だ。
「粋がんな。客じゃねえならなんだ? 惚れたか」
「そんなんじゃねぇよ…そんなんじゃ…」
それ以上は上手く言葉にできなかった。それがとても悔しかったってことは覚えている。
言語化できなかったことが悔しいわけでは当然ない。たぶん自身の情けなさ、無力さ、そういった感情。
いや、なにもこの男をどうにかできるぐらいの力が欲しい、…そういうわけでは当然ないのだ。こんな状況に持ち込んでしまった自分自身の力量とか。どうして追い込まれているのか、原因が掴めないことへの不甲斐なさとか。立ち回りが恐ろしく下手な自分の器量とか。そういったものが圧倒的に足りない、そういった悔しさ。
そもそも。この時の「わたしはなんなんだろう?」という話から疑問なのだ。
現在でこそ端的な解釈をすれば『間男』以外の何者でもない。拾われたどうのといった話はタダの建前で、傍から見ればガキのくせに風俗嬢の気まぐれに入れ込んだサルガキだ。この話をすれば大抵の女性は「一人でマス掻いてろ」と唾を吐きかけるだろう。それが世間帯でいうところの正しさで、世の中のすべてだ。
正しいという話は、その客観性からも主張を強める。その下にどのような思想や、感情や、言葉があっても強固になった第三者の常識や正しさの主張は当事者の心の機微を許さない。
だからわたしの心も慎重に扱う必要はない。彼女の心も同様だ。
だけど。もし弁明が許されるのなら。いや、これは弁明というよりは戯言に近いのだろうけども。
もっとも真実に近い戯言を述べるのならば、その正しさはわたしの正しさではないということだ。
なぜなら当時のわたしには正しさが形作る男女とはもっと違う関係のような気がしてたから。もっともそれを言語化できないでいたが。
例えば恋愛でもない。例えば姉弟でもない。例えば友達でもない。ただお互いが依存をするだけの気まぐれ。だからもちろん浮ついた感情はない。惚れた腫れたなど議論の外。
しいて言えば。
例えば浮気。あるいは不倫。客観的事実によって成立するこういった関係にわたし自身は善悪の判断基準を持っていない。
一般的にこれは悪いことだとしても、それを理解するにはあらゆる価値観が足りなかった。
わたしが彼女に助けられた。彼女もまたそうなのだろう。それが凡てでそれが結果だ。わたしの論理はそこで停止してしまっている。
だからこそ「シラケんなぁ…」男が言った。その温度にわたしは衝撃を覚えた。
そうなのだ。そんなことは男女の間でよくあること。ありふれたと言ってもいい。
そんな何処にでも落ちている物を特別に感じているガキを見れば、これほど滑稽に見えるものはない。
当然ながら当時のわたしにそんな視点はない。だから男の落胆を理解できない。
ここでのガキの思考はこうだ。
自分が『良い』と思ったものは誰から見ても『良いもの』だろう? 自分も救われて、相手も救われてる。
それでいいじゃないか。シラケる道理がどこにある? それは憤りにも近い感情だろう。
もちろんそんなのは子供の理屈。何も見えてない頭がハッピーな馬鹿の戯言なんだろうさ。
さて、物事には落としどころがある。
通すべき筋があって不義理を許さない。そういった人種がいる。
この男もそういった人種の社会にいる。
男からしたら女は商品だった。半グレというのはヤクザとは違う。暴力団とも違う。もっともつながりがないわけではないが…。
彼らを言い表す言葉はおそらく「集合体」であろう。独特の連絡網で一声かければ50人、100人は当たり前に集まる集団。もちろんそれらの規模や位のようなモノもあるのだろうが、認識としてはそういったものだと思ってくれればいい。
聞いてわかるように仲間同士の結束はとても強い。その結束を担保するのが独自の「ルール」だ。
徹底した上下関係もそうだが、とりわけ仕事においてのパーソナルスペースの侵害は絶対的なタブー。
客が被ることはご法度だ。事前に断りを入れてあるならまだしも「知らなかった」では済まされない。
今回のわたしがその例に入る。彼らからすればわたしが商売女に唾をつけた。つまり他人の商品に手を付けたわけだ。
だがこんなことは嬢に入れ込むとよくよく起きる話だ。騒ぐことじゃないと男は言う。もっともそれはわたしがその『商売女』を壊さなかったからだ。それに他の理由もあったのだろう。
全ては打算だ。彼らは採算がとれることしかしないのだから。
そしてそもそもの話、わたしは金の持っていない素人で、当然ながらそういった筋の立て方を知らない。
だから「悪いと思ったなら覚えろ」と後々に教育され、数回夜のアルバイトを手伝うことで『手打ち』となった。
それはたぶん幸運なのだろう。
その後、彼女はケジメとしていくつか折檻を受けて『手打ち』となる。
わたしは顔面を腫らしたひどい顔で、彼女もボロボロになったひどい顔で、馬鹿みたいに笑って「こうなるとは思ってた」とお互いを受け入れた。
だけど彼女は弱い人だったから、いっそう酒とクスリと男におぼれるようになった。
後々考えれば、だが。男はここで彼女を使い潰すつもりだったのでは? とも思う。おそらくだが、いろいろ限界だったのだろう。
たまたま繋ぎとめていた人間が表れたから、都合よく使っていただけに過ぎない。そう考えると実にしっくりする。
男…便宜上『奥村』さんと今後呼ぶが、煙草を吹かしながら内心を吐露する。
「あれは元から商品価値が薄かったから、もう使えない」と。
彼女は元々クスリ依存が祟ってクスリ欲しさにハードワークを続けていたのだという。風俗もそこまで客受けが良かったわけでもなく、淡々と数をこなす嬢だったらしい。
もちろん、そんな姿はわたしの知らない彼女の姿だ。だからというわけでもないが別段、ショックを受けなかった。
本当に、「そうなんだ」と淡々とした返事を述べるだけだった。
奥村さんはわたしに対しておそらく『拾い物』をした気分だったのだろう。
だから不自然なぐらい穏やかにわたしに教育をして見せる。
このままいけば彼女を起点に『足』がつく。なりふり構わず、金を稼ごうとするだろう。
それは良質な商品ではなく、ただの乞食になり下がった末路。ここで話したのはそういった奥村さんなりの解釈だ。
だから手を引け。そういう嗅覚を身に付けろと。そうわたしに告げたのだ。
わたしはその価値観や見識にただただ瞠目した。
なぜなら奥村さんの知識や嗅覚はわたしにはまったくないもの。
それにこういうと殴られそうだが奥村さんの空気感や意識はわたしの興味を強く惹くものだ。
ただこれも奥村さんの話術によるもので、わたしがそれに信頼にも似た感情を寄せるだろうというのはわかっていたのだろう。
だから全ては手の内ということなんだろうけども、それでもこの『悪い人』は誰よりもわたしに響いた大人だったことは告げておく。