ホームスクーリングをするための戦略を考えよう! その2

02 義務教育の法律と解釈、ホームスクーリングの違い

まず前提条件としてさ。日本は9年間の義務教育を憲法と法律で担保している。担保っていうのはさ、なんでそれが常識になったのかな? の大元の話ね。

じゃ、その法律にはなんて書いてあるか。簡単に説明すると、
児童には基本教育をしなくちゃダメ。なので国が教育を無料で受けられる機関、「学校」という基本教育を教える教育機関を作ったので児童にはそこに通い、基本教育の勉強をさせなければなりませんよ。という『人権の話』が書いてある。

人権というのは、憲法で保障しているよって話ね。
法律の元になっている日本で生活する人に課せられたルール。日本ではこういった権利を保障しますよって話の中に基本的人権(この国に生まれたときから約束された人としての権利のこと)や考え方の自由だったり、何を信じるかの自由であったりがあるわけですけど、そういった権利の中に教育も組み込まれているんだよ。

だから親の責務は自身の子供に基本教育を学ばせるため、専門機関でもある学校に行けるように自身の子供に対してその環境を整えてあげなくてはいけない。また不当に教育を妨げることをしてはいけないですよ。それが親の責任ですよ。と、法律が憲法を補うように定めてあるわけだ。

憲法でいえば26条第2項、
教育基本法であれば第4条、
学校教育法であれば第22条第39項。

他にも関連法案も含めると本当にたっぷり。こうやって子供が学ぶことを過去に国の偉い人たちが決めたんですね。昔は教育したくても出来なかったから、できるようにしたと、そういうった話です。

では、憲法にも法律にも書かれているこの義務教育。不登校は法律違反になるか? という疑問が存在します。

え? 親は教育機関に子供を通わせるんでしょ?
そのための情報整理やお金を使って道具を買いそろえたりして学校に通えるようにするのが責務でしょ? と、いう解釈をしがち。
それは確かに間違ってはいないけど、正しいとも言えないのが実際のところ。

ここで注目すべきは、『基本教育を学ばせる』ということ。

「親が子供に基本教育を施してください。それが責務ですよ。」

「ただ、親が付きっきりで教育して9年間分の知識を子供に与えてください。というのが、現実的ではないので学校という教育機関に預けてください。そこで教育代行をしっかり行いますよ。それも無償で!」

これが正しい法解釈となるのでしょう。

したがって『不登校』は違反になるか? その答えは不登校の理由に大人が大きく関係しているのであれば「違反になる」、またその理由に子供が大きく関係しているのであれば「違反にはならない」というのが正解になります。

極端な話を言えば、子供側に不登校の理由があれば小中学校の9年間を一日も学校に行かなかったとしても違反にならないし、「筋道」をちゃんと立てれば卒業もできるということ。

大事なことなので改めて伝えますが、どのような法的話でも「児童には法的義務は何もない」とされています。そこで出てくるのが保護者。法律的に言うと『監督義務者』という立場の人が保護下に入る子供の全責任を担う立場の人になります。

だから子供は悪くないし、子供(年齢に基準はないが、概ね12前後)というだけで責任能力はないと公的には考えられている。

ここで問題となるのは保護監督責任者である親の責務。例えば、児童のけがや病気で学校に通わすことが出来ない。これであれば正当な理由となるでしょう。

しかし仮にですよ?
家庭の財政状況が芳しくなくて児童が労働をしている。このため基本教育を受けさせることはできない。学校に通わすことができない。
こうなれば親の責務が果たされていないため違憲となる、そして親の監督責任能力に疑問符が付く。場合によっては虐待の線も疑われることもあるでしょう。

また学校教育法施行令第20条では、教育委員会より正当な理由なく不登校を続ける児童生徒がいる家庭には「学校に行かせてください」という督促状が送付される。これを無視続けると罰金刑に処されることもありえる。

ここで言うところの「正当な理由」というのは子供が学校に行くことを望んでいるという事が前提にあります。だから子供が不登校を選択した場合はそれ自体が「正当な理由」となるのです。

よって短絡的に「不登校=法律違反」ではないという事を、両親をはじめ、周囲の大人も理解しなければなりません。

さて義務教育期間は不登校でも卒業できると書きました。
しかし必ずしも卒業できるとは言えません。条件としてはしっかりした筋道を立てることです。なぜなら法律上は「原級に留める」措置が取られることも担保しているからです。
そして留年措置といったそれはまったくないとは言えないのが日本の教育になっています。

実際の話、小学生でも出席日数が足りずに「原級に留めた」実績が過去にあり、何かしらの事情で不登校になり、卒業できない児童もいたのです。

ただし進級、卒業については出席日数についてのみがその条件ではなく、最終判断はその学校の校長先生判断となるようです。校長先生自身が承認すれば進級も卒業も出来ますが、認めなければ原級にとどめる、卒業できないということになると解釈していいでしょう。

実にあやふやで、明確さに欠けた話ですがこれが日本における義務教育の性質。いえ、ここでは性格というものでしょう。

それは現代の学校教育でスタンダードな問題か? と言われると、私は言葉を濁したくなります。というのも、これらはあくまで過去の事例であって、現代においては暗黙の了解的に進級、卒業をさせる方向に向いているからです。

それに公立、私立でも若干話が変わります。
今回は公立においての話とします。

公立学校では基本留年措置は採られません。
なぜか? というと、これも法律に絡む問題となるのですが、義務教育は6歳~15歳までの間でしか適応されません。どこかしらのタイミングで1年の留年を行うと、中学3年の時に問題が起こります。

つまり9年間(15歳まで)は無償で勉強できるという法律的担保から外れる、という話ですね。この辺も繊細な問題となるので暗黙の了解として無条件で進級させるというのが、いまの学校教育のようです。

逆に留年を希望した児童とその家族を退けて強制的に進級させたといった話もあり、それでも不服と裁判を起こしたんです。が、結局裁判所も「進級が妥当」と結論を出して退けられた。そんな話もあります。

じゃあ、結局何をしても進級も卒業もできるんじゃないか?
そう思われることは十分理解していますが、短絡的に「そうです」とは言い難いんです。

いつぞやのゆとり教育でもあったように、どこで学校教育の法律が、内情が変わるかわかりません。また留年はないとする大部分の理由でもある『年齢主義(学習者と年齢をそろえるといった考え方)』が主流となっている学校教育が、そもそも時代の変化についていけてないとする意見も多聞にあり、日本でどうにか『過程主義(学力やカリキュラムの履修状況をもとに留年を判断する考え方)』を導入できないか? と、数十年前から口にしています。

さて、現代の学校教育は時代に合わないと真っ向からいうのが、私たちの立場。なのでおそらくこれから道理を通すだろう私たちにおいて、まず論理を確立してもらった方が話しやすいと思うんです。

よくよく考えてみると今回の主題となっているホームスクーリングもどちらかと言えば『過程主義』に属した考え方を採用しています。どういった内容が? という話は後で詳しく話しますが、ホームスクーリングは学校で行われる横並びの教育ではないです。
カリキュラムは独自に構築しなければならないし、進め方も児童それぞれ。個々の性格や理解度、進行速度に依存します。

確かに公立の小中学校では留年はないでしょう。
では私立ではどうか? となると、私立では留年措置があります。ただその場合、留年=退学処置➡別の公立学校に編入するというパターンが多いようです。稀に、1年をもう一度繰り返す(一般的な留年)という措置や、校長先生宅への訪問教育などがあるそうですが、どちらもレアな対応と言えるでしょう。

このことからも、法律上に謳う「基本教育」を受けさせるという点は、何かが、あるいは誰かが『教育の保証しなければならない』と言えます。児童には学校教育に代わる何かが必要不可欠であり、仮にあなたがオルタナティブ教育を採用するのであれば、教育委員会側にも教育の多様性を理解してもらう必要があります。

理解を求めるという事は、それについて説明する必要があります。
次はなんでこんな小難しい話をしたかという理由について話していきます。

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