長渕剛、という生き様に共感した話。
令和2年の1月24日のテレビ番組に
ゲスト出演していた長渕剛さんは
同じ鹿児島県出身ということもあってか
好きな歌手の一人である。
若いときに比べればルックスも曲調も
歌詞で訴えかけているメッセージも
時代とともに変化するのは当然ながら
今日の番組で改めて彼の生き様を感じた。
幼い頃の貧しかった鹿児島時代は
まさに同時代を生きたもの同士の
そうだったね!の繰り返しである。
彼の歌の良さは、その折々の彼の情熱
感じていること、滾るような熱い想いが
曲に凝縮されているところだろうか。
「歌」というより「叫び」のほうが
ぴったりくる曲も多い。
まさに魂からの叫び、雄叫びなのだ。
そんな歌い方、生き方をしてきた彼が
番組の中での再現ドラマを交えながら
語っていた母親の思い出が印象的だった。
56才で認知症を発症し引き取ってからの
約10年間を母と一緒に過ごした思いを
MOTHERという曲に込めて歌ってくれた。
夫婦仲良く番組を見ていたのだけど
途中で自分の過去と重なってしまい
思わず涙を流してしまった。
彼のように、両親の壮絶な夫婦喧嘩など
私は見たことも無いのだ。
長渕さんは、すぐ手を出すような暴力が
家庭でも当たり前の時代だったと振り返る。
同時代を同じ鹿児島で過ごした私だけど
父親に暴力を振われる母親の姿なんて
生まれてから一度も、見たことが無い。
なぜかというと母親がいなかったからだ。
私の母は、私を産んでくれた後に
産後の肥立ちが悪く療養も叶わずに1才に
なった私をおいて旅立ってしまった。
だから私は、父親と母親が一緒のところを
見たことが無いのだ。
自分の両親が争う夫婦喧嘩の場面なんて
見ることができないのは当たり前である。
彼の、長渕剛の語る両親の夫婦喧嘩話を
聞いて思ったこと。
「あぁ、私は幸せ者だったんだなぁ
親が罵倒し合ったり喧嘩したりする姿を
見ることもなく親を恨み悲しい思いすら
しなくて済んだのだから」
両親そろえば、それに越したことはない。
たとえ片親でも、いてくれるだけ幸せ。
両親がいなけりゃ、自分だけでじゅうぶん。
深い愛情をいなかった両親の分を含めて
我が子にたっぷり注げるのだから。
シングルファザーなんて言うとなんだか
格好よさげだけど、そんなものじゃない。
いつも父親と差し向かいで食べていた
あの食卓が貧しい食卓だったと気づくのは
ずいぶん経ってグレ始める前のことだった。
大きな事件も、取り返しのつかないことも
起こす前に近所ぐるみで更生させられた。
母親のいない少年期を無事卒業したのも
周囲の暖かい優しさに囲まれてのこと。
近所の、みんなのお陰でした。
感謝の言葉しか無いような出会いで
私の人生を大きく変えてくれたのが
今、一緒にすごす彼女、妻である。
テレビ番組の長渕剛さんの生き様に
自分の過去を重ね合わせて共感した話。
そういえば彼の歌を聴くと
いつもいつも、涙腺がゆるむ。
近ごろよく涙が流れるなぁ・・・と
ティッシュをつまみ出す。
そうよ、年とったもんなぁ・・・。
今日の のほほん。
では。