【武学談義】剣道や柔道・合気道に比べ空手道ほど流派が乱立している武道はないという話。
今回は久しぶりすぎるけど、武学談義を語ってみたいと思います。
テーマは、昔の剣術流派はともかく、現代の剣道や柔道・合気道に比べると空手道ほど流派が乱立している武道はないよね、って話です。
武学や武術談義の記事がどのくらいぶりになるのか、過去記事を確認してみたら、なんと昨年の11月28日と29日に連続で投稿してから、ずっとご無沙汰でしたね。😅
その前はというと、半年も遡って5月の投稿がありました。
まぁ東京オリンピックも終わり、柔道のメダル獲得も最多で応援していた身にしてみたら、ここはひとつ何か武道・武術ネタでもと意気込んでいたけどワクチン接種が終わってから、と考えてたら今日になっちゃいました。😅
あ、タイトルに付けている武学談義や武術談義という使い分けは、技のことなど技法に関するような話題では武術を使い、全般的なことなどには武学を使っているつもりですので、そのつもりで解釈していただければと。
江戸時代の頃、それも中期以降から幕末にかけての剣術流派の多くは、名の知れた流派から枝分かれして、複数の流派の特長を組み合わせたり併修したりして、それこそ実力のある剣術家の数だけあったと思ってもいいくらい。
それが明治維新後の明治9年に、佩刀禁止令の太政官布告が出されるに及んで剣術流派も、一気に衰退の波をもろに被ってしまうわけだけど、世の中に武士階級が存在しなくなって剣術流派もその基盤を失うことになりました。
ちなみに佩刀禁止令は、昭和21年に銃砲等所持禁止令が施行されるまで有効な布告として存在はしていたんですが、昭和29年に銃砲等所持禁止令の施行で実効性を無くしたとして廃止されたんですよ。
こうやって年代をみてみると、侍や武士階級という存在が大昔の物語では無く、意外に身近な年代まで影を引きずっていたのを感じ取れますよね。
佩刀禁止令では帯刀することを禁止したのであって、所持・所有することまで禁じたわけじゃ無かったんですよ。
なもんだから、佩刀禁止令に反発した元武士たちが、刀を差さなきゃいいんだろうとばかりに、肩に担いで歩いたり、袋に刀を入れて持ち歩いたりしたそうです。
気骨のある人物が多かったろうから、明治新政府も苦労したでしょうね。
さて、多くの剣術流派は元を辿れば3つか4つの流派に、その源流をみることができるわけですが、3つの流派のときは陰流・新当流(鹿島新當流)・念流で、これに念流の流れをくむ中条流を加えて兵法四大源流としているようです。
現在まで失伝せずに伝わっている剣術流派は、この4つのどれかにその源流があるとみていいわけですが、これらを修行し免許皆伝で奥義を極めた剣豪たちが、あらたな流派名を名乗って独立し枝分かれしていくわけですね。
私のお膝元である薩摩においては示現流が有名なんですが、そのルーツはというと「天真正自顕流(てんしんしょうじけんりゅう)」という流派に行き着き、その源流はと言えば鹿島新當流になるんですよね。
天真正自顕流の相伝を受けた流祖の東郷重位(とうごう ちゅうい / しげかた)が、それまで学んでいたタイ捨流(たいしゃりゅう)とのいいとこ取りをして、創意工夫した流派が薩摩示現流ということです。
そしてこのタイ捨流は、兵法三大源流のうちの陰流を工夫して新陰流を起こした、上泉伊勢守の名でも知られる上泉信綱から別れた流派なんですね。
独特な剣風で知られる薩摩示現流でさえ、元を辿れば兵法三大源流の念流・香取神道流に行き着くということです。
このことでもわかるように、三大源流や四大源流のどれか1つだけに由来している流派というのは、そもそもの源流派しかなく、現在に伝わっている流派のほとんどが混血ということになるわけですよ。(^_^)b
そして現代剣道として伝わっているわけですが、もちろん現代剣道も源流はこの兵法三大源流か四大源流にあるのは当然ですが、今は1つに絞られていますよね。
柔道も今の講道館柔道を嘉納治五郎が創始するまでは、柔術・体術として多くの流派があったわけですが、現在は古流剣術流派での併修として伝わっている例を除くと、数えられるほどしか無いのです。
柔術からは合気柔術を経て合気道も生まれましたが、合気道にしても元を辿れば合気柔術と同じだと考えていいでしょうから、こちらもそんなに多くはないですね。
それに比べると空手道は、元を辿ると流派の源流はそんなに多くないものの現在活動している流派の数でいうと、雨後のタケノコのように新流派が生まれているんですね、実際のところ。
他の剣道や柔道が多数の流派から収斂してきたのに対して、空手の場合は逆に拡散の傾向が見られるんですね。
これはなぜなのか?
統一団体としてまとめ上げられない理由がいくつもあると思うけど、個人的な見解でいうなら、素手での徒手空拳の格闘技である、という点が多くの流派を存在させる要因になっていると思っています。
教える師範が体格の大きい人物であるのか、それとも小柄で敏捷な動きが得意な人物なのかで、組手で使う得意技も闘い方も変わってくるわけですね。
そしてそういう体格に合った利点を磨いていくわけなので、同じような身体的特長を備えた弟子が集まりやすい傾向がみられます。
特に闘う技術を極めるわけなので、弟子が鍛錬の結果として師範を超えるということも頻繁に起こるわけですが、このときに戦闘者として師を超えるほど強くなった弟子は、独立したがるわけですね。
そういう構造的な問題で、分派独立が繰り返されて多くの流派を生み出すことになってしまった、そうとらえているんですが、当たらずも遠からずだと睨んでいるんですよ。
だいたい、宗家や流派代表が後継者を決めるときに、その決定に不満を抱いて高弟たちが分派独立していくというケースが散見されるので、この傾向は止むことは無いかも知れませんね。
オリンピック競技に採用された空手も、主流派とはいえ全体を統括する空手団体ではありません。
そういう意味では、空手道の世界チャンピオンというのは、何人も何十人も存在しているわけで、空手の統一チャンピオンを決定するなんてことにはならないのですね、それぞれの流派の面目や立場がありますもんね・・・。😅
もちろん私の護身術も源流は少林寺流空手道で、その技法をベースにして棒術・杖術の技法を組み合わせているんですよね。(^_^)b
で、ついでに付け加えておくと、空手の源流は・・・子どもの取っ組み合いの喧嘩・・・に行き着くのではないかと。🤣
子どもの喧嘩を磨き上げていくと、何でもありの空手に近づくのです。
奥義は初伝にあり、なんて言うじゃ無いですか、それこそ流派の奥義は最初に習得する基本技法にあると、あちらこちらで伝わっているので・・・。🤣
はい、お時間もよろしいようで。
実はこの記事、ワクチン接種の前に下書きしていたんだけど、投稿をし忘れたまま日にちがたってしまったので、オリンピックまわりのネタを削って投稿することにしました。😅
ってことで、今回は
「【武学談義】剣道や柔道・合気道に比べ空手道ほど流派が乱立している武道はないという話。」という久しぶりの武学ネタでした。
※見出し画像のイラストは、メイプル楓さんからお借りしました。
では!
健康と 大事な命 のほほんと
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