やらかし道場 #1 やらかし道場の始まり
初めまして、「やらかし道場」代表の鶴見 真慧(つるみ まさと)と申します。「やらかし道場」では失敗を挑戦に変えるための活動をしています。
失敗は恐れるものではないと皆よく分かっている
皆さんは失敗と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
「失敗は成功のもと」など失敗を恐るなという名言は数多くありますよね
有名な名言だと
トーマス・エジソンの「失敗ではない。うまくいかない一万通りの方法を発見したのだ。」あたりが有名でしょうか?
失敗は恐れるものではなく、失敗をし続けた先に成功があると沢山教わってきたし、頭では理解している
しかし、失敗を恐れる人が多い
何故失敗を恐れる人が多いのでしょうか?
それは、失敗した事実とその人の人格を重ねてしまうという現代の風潮が一つの原因になっているのではないでしょうか?
失敗とは、「失敗学のすすめ」を記されている畑村洋太郎先生の言葉を引用すると
「失敗とは、人間が関わって行ったことで、はじめに想定していた目的を達成できないこと」
何かを挑戦しようとすると
「どうせ失敗する」「お前はどうせやったってダメだ」
と言われ
上手くいかないと
「ほれ見たことか」「やっぱりお前は何をやってもダメだ」
と後ろ指を刺される
そしてどんどん失敗を人に話せなくなり、
最終的には挑戦そのものができなくなる
そして他の人の挑戦も素直に応援できなくなり、
後ろ指を指す側の人間になってしまう
私自身コンプレックスを抱えている人間です
つらつらと現代について否定的に書いてきましたが、
私自身が応援できない人間でありコンプレックスに塗れた人間でした。
それはとてつもない学歴コンプレックス
私は、島根大学出身です。国公立じゃないかと、贅沢言うなと言ってくださる方もいらっしゃるかと思います。大学自体も素晴らしい大学だと今ははっきり言えます。
しかし、当時の自分はそうではなかった。
私の家族が優秀だったからです。
父、母、弟のその全員が旧帝国大学出身。
一方で自分は、大学受験に失敗し一校も受からず浪人。
どれくらい差があったかというと、中学生時代の弟が浪人時代の私のセンター英語を解いて、私より余裕で高いくらいの差。
なぜ、同じように生きてきたのにこんなに差がついてしまったのか、
それを考えて絶望し、
ネットで「島根大学 Fラン」と調べてFランではありませんと調べて安心するような日々を送っていました。
コンプレックスが人の役に立つと知った機会
大学4年生で母校の高校に教育実習に行った時のことでした。
担当しているクラスの先生に言われた一言がきっかけでした。
「鶴見君の受験の体験を話して」
その先生が言っていたのはおそらく私が国公立大学に通っているから
合格体験記のようなものを話してという意味合いだったのだと思います。
しかし、私の感覚では私の受験の日々は「合格体験記」と感じるものではありません。
そのため当時流行っていた「しくじり先生」の形式を用いて
自分がいかに浪人したのかを赤裸々に学生に話しました。
その結果は、大反響。
当時のクラスはとてもノリが良かったのでラッキーかもしれません。
それでも学生からは「タメになった!」と言ってくれ
先生からも「自分達の口から話しても学生は聞いてくれなかったが、よりリアルな話で学生も引き込まれた」
というありがたいお言葉をいただくことができました。
その時になってやっと私は、自分の学歴コンプレックスが人の役に立ったという実感を得ることができました。
これが私の「やらかし道場」が始まったきっかけです。
次回では、その時の内容、「私がなぜ浪人したのか」について書いていきますので、ご興味いただけた方は読んでくださると幸いです。
やらかし道場 鶴見 真慧