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やらかし道場 #3 人生最大の後悔の話

皆さんこんにちは。やらかし道場 代表の鶴見真慧です。

よく過去に戻れるならといった質問がありますが、
皆さんはどんな回答をするでしょうか?

「学生時代に告白できなかった人に告白する」
「就職先を変える」

そんな風な回答もあるのかなと思います。

私は、高校の入学時に戻り、ソフトテニス部に入部する。という回答をします。

え、そんなこと?と思われるかもしれませんが、私の人生の中で最も大きな後悔がそこにあるのです。

ソフトテニス部に入部しなかったということ

もう高校入学から12年ほど経ってしまいました。

しかしながら当時の事を鮮明に思い出せるので、その時の事を話していこうと思います。

12年前、私はとある京都市の公立高校の門をくぐりました。

その高校は前年度、京都で優勝しインターハイ出場。
基本的には京都で2番目に強いと言われている高校でした。

私はなぜその高校に入学したのか?
それはソフトテニス部があり、強かったから。強いて言えば偏差値も60を少し超えるくらいあり。受験もできると思ったから。

一方で私はソフトテニスが上手かったのか、、
正直言うとそこまでではありませんでした。

高校は京都でしたが、父の仕事の都合で小学2年生から中学3年生まで東京都に住んでいました。

東京都は当時そこまでレベルは高く無いと言われていましたが、
その東京都でなんとか都大会に出れるレベル。
団体戦ではレギュラーとはいえないレベル。
団体戦には付いていくけど、試合にはほぼ出ない。

そんな感じでした。

それでも京都に行くときに当時のソフトテニス部のメンバーから、
全国で会おうぜという約束をして、東京を出てきました。

しかし、入部したのは硬式テニス部

正直言うとビビりました。

別にスポーツ推薦をもらうほど強くも無いのに
東京の中学からいきなり来たら変な期待をさせてしまうのではないかという
変な自意識過剰さがあったのかもしれません。

入学前の春休みに学校を通ると推薦で入った子たちがすでに練習しているなと感じました。真偽はどうだったか分かりません。
でも、当時の自分は入学直前から少し心は折れていました。

入学後、オリエンテーションで部活紹介があり、募集している部活は新入生に対してアピールをするのですが、ソフトテニス部は来ていなかった。
そこで私はさらに心が折れるのでした。

一応担任の先生にソフトテニス部は募集しているのかと聞いてもらったところ、「募集はしている」との回答をいただきました。

そして一応コートに足を運んだのですが

ソフトテニス部のコートで練習をしている一人の生徒に目を奪われました。

別に恋とかではなく、

そこで打っている一人の小柄な少年のストロークに目を奪われました、

ラリーをしている相手はおそらく監督の先生、

ゴリゴリのガタイから放たれる暴れ球のようなボールは、ゴムボールと思えないような轟音で放たれているのです。
(当時の自分にはそのように見えました)

その相手をしているのがその少年、彼は難なくそのボールを打ち返しており、彼がおそらく同期であると確信しました。

その時、自分はここではやっていけない。と感じました。

そしてソフトテニス部側のコートを通りすぎ、硬式テニス側のコートに行きました。

そしてこれが私の12年続く後悔の幕開けでした。

そして入った行ったのは、硬式テニス部。
当時の自分にはあまり強くないように感じ、ここなら大丈夫そうだなという安心感を感じてしまいました。

そして、
当時のキャプテンの「テニス部入部希望?」という言葉に
「はい」と答えていました。

そこには、受験をするなら練習時間も長いであろうソフトテニス部より

比較的緩い硬式テニス部の方が良いと自分の中で理由をつけて

硬式テニス部での日々を始めました。

後悔する時は、大体自分の中で納得する理由をつける

納得する理由があるのに心が拒否している時

それは本能がその道では無いと言っているのだと私は思います。

話を戻しましたが、それからの日々は正直私にとって後悔やコンプレックスを加速する日々になりました。

向かい側のコートで厳しい練習ながら走り回っているソフトテニス部を羨ましいと思いながら、練習する日々。
正直、身が入った練習はできていなかったように感じます。

そんな態度で練習したら当然上達する速度も落ちる訳で

最終的に私は、イップスに悩むほどテニスがどんどんできなくなっていきます。

ソフトテニスにも硬式テニスにも真摯に向き合えなかった結果のように感じます。

高校3年生の引退の時、涙した理由は

始まりがあれば終わりもある訳で

高校3年生の5月の一週目には団体戦で負けて引退しました。

引退したその時に、私は号泣してしまいました。

周りは私が負けて悔しかっただろうと思っていましたが、
私の思いとしては

「なぜソフトテニス部に入らなかったのか?
 入部した他の選手達はもっと努力しているのに、私は入部するという最初 
 の勇気すら持てなかった」
そのような感情に支配され、号泣していました。

そしてその時の感情は
「大学に入ってソフトテニス部に入る。部活をするために県外の国公立に必ず行く」という感情に支配されることになります。

そして今。

そして28歳になった今。
私は大学時代で続けたソフトテニスを社会人5年目になった現在でも続けています。
2024年現在では、ソフトテニスクラブがNPO法人になりその理事も任されるようになりました。

練習頻度自体は減りましたが、当時の後悔があったからこそ長く続けられたのだろうと思います。

それは自分にとっての財産とも言えますし、あの時の強い後悔があったからこそ、今に繋がっているのだとも思っています。

それでも、これから重要な選択を抱えている皆さんには後悔をして欲しくないと思っています。

だからこそ、頭の中ではこの選択肢しか無いと思っていても、心が拒否している場合は、別の選択肢が無いか、茨の道でも歩める道は無いのか考えてもらいたいと思います。

次回では、私がその茨の道を歩んだ話を書きたいと思っています。

ぜひ読んでいただけると幸いでございます。

やらかし道場 鶴見


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