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病んでるヤブ医者元谷さん #1『臭う』


アタシの名前は高橋奈由美、18歳。高校3年生、インフルエンサー。
フォロワーは一万人。学校内外でコクられた回数にもうすぐ届く。
どっかの人が生きることは長い階段を昇る過酷なものだって言っていた。
アタシにとっては、その人たちをエレベーターに乗りながら眺めてるだけでいいようなものだ。
欲しいものは何でもパパに買ってもらえるし、ママの遺伝でルックスはカンペキ。
学校で嫌なヤツがいればすぐにフォロワーがかばってタコにしてくれるし。
ジョニーズの…今はスマイルズ?の桜橋君との関係も順調だし。
人生なんて、チョロい。
ちょっと愛想を振りまいていれば、勝手にコトが進んでいく。
バカ真面目に汗かいて働いてるクソ兄貴と違って、アタシはエレベーターに乗る。

フォロワーからの投げ銭でアイツの月収軽く超えてるし、桜橋君と同棲が始まったらあとはもうアガり。
他のやつらが一生懸命ルーレットを回して一喜一憂してるのを、港区の高層タワマンから見下ろしながら、100万人のフォロワーに愛想を振りまいて、大金持ちになって楽して生きてやる。
それが、アタシなりの妹への、弔いだから。

そのためにも、まずはカゼを治さないと。
明日はピックポックの有名インフルエンサー、ぱむかまとのコラボ配信。
万全にして、アガりへの第一歩を踏み出すんだ。
アタシはピックポックにマスク姿の自撮りを投稿すると、病院へと出かけた。



俺の名前は高橋浩介、26歳。警視庁生活安全課配属、刑事。
月収は20万。妹に睾丸を蹴り上げられた回数にもうすぐ届く。
どこかの人が、生きることは長い階段を昇るようなものだと言っていた。
俺にとっては、まさにその通りだと思う。
生きることは辛く、苦しい。でも、それが人生だと俺なりに思う。
舞い込んでくる通報は些細なものに過ぎなく、父親が酒に酔って殴ってきただの、家出したいだの、コンビニの店員の態度が悪いだの…
俺が警察を志したのは、妹を殺めたような凶悪犯を捕まえるためだったのに、警察学校で死ぬ気で勉強していたあの時の俺が、今の惨状を見たら、なんと言うだろうか。
コロシを主に扱う1課に配属された学校の同期もいた。
彼と俺で、何が違ったというんだろうか。
このままこの紙臭い部屋で、くだらない愚痴のような通報を聞き続けて一生を終えるんだろうか。
それはそれで、ある意味運命なんだろう。
俺は、あいつの息子なのだから。

俺は頭痛の種の一つである電話機を睨むと、
「お前は鳴るだけでいいよな」とため息をつき、デスクからケロリーメイトを取り出して齧った。
「高橋ィ、またソレか?」
通りがかったベテラン刑事、永井が電子タバコと焼きそばパンを持って話しかけてきた。
「永井サン、禁煙ですよ」
「エイコスだからいいんだよ」
「だとしてもクサいんですよ、それ。」
「スメハラってやつか?ココに女の子でもいりゃ通りそうなもんだがな」
永井は俺の襟元から手元に向かって仰ぐような仕草を取ると、
「客観的に言えば、お前さんも人の事言えねえと思うぜ」
「えぇ?!マジすか!?」
「廊下の向うからも匂ってきたぜ。そういうの、無自覚になっていくって話聞いたことあんだろ?末期だぜ、お前さん」
「マジかァ…」
肩を落としていると、その肩に永井はエイコスを口にくわえてどんと手を置いてきた。
「今日の分はやっといてやるから、帰っていいぜ。 ていうか帰りな。1週間帰ってねえんだろ?」
「…ハイ。」
「ほら、帰った帰った!!帰って肉じゃがでも作って喰って、風呂入れ!」
半ば強引にケロリ―メイトをゴミ箱に捨てられると、押し出されるようにして俺は事務所を後にすることになった。

扉が閉まり、高橋が帰ったことを確認すると、エイコスを一服してから、
「意地でも他人に迷惑はかけられん、か…」
遠い目をしながらそうつぶやいた。
すると、夜遅くだというのに電話機が鳴った。
おおかた、この時間だと乱痴気騒ぎか何かだろうか。
「しまったな…アイツ帰すんじゃなかったわ」
いそいそとエイコスの電源を切り、焼きそばパンを一口で食べきると受話器を取った。
「はい、生活安全課。どういった要件で?」
「ああどうか落ち着いて、深呼吸してください。きちんと対処しますから。 ゆっくり、どうしたか説明してください。奥様に代わってもらうことは? ご自分で説明できますか?」
「まあそう仰らないでください。我々も現状をしっかりと把握しないといけないんですよ。ハイ。…エエはい、娘さんのことですね。」
「ええ、昨日から帰ってないと。はい。捜索届ね。お名前と住所をお伺いしても?」
「えッ!?」

「高橋…奈由美…!?」


家路に付くのは何日ぶりだろうか。
正直な所、できることなら帰りたくはないが、かといって一人暮らしが出来る状況ではない。
俺の父は、典型的な躁鬱病とASD患者だ。
思い込みが激しく、自分が正しいと思ったことは道理から外れていてもどんな手を使ってでもやってみせようとする強引な男で、
妹を偏愛するあまり、過剰に物を買い与え、貯金を使い果たし、現在は消費者金融で何社からも借り入れてそれを続けている。
母や俺が制止しようものなら、暴力を振るい、罵詈雑言を浴びせかける。
ごくまれに気分が落ち着く日があると思えば、次の日には高級時計を俺の名義の分割払いで購入したりもして、自分のことを制御できない。
はっきり言ってしまえば、憎い。
母親はそれに苦しめられているし、妹がいじめに加担しているのも奴が甘やかしたのが原因だ。
それに、俺は奴に幼い頃から暴力を振るわれ続けて来た。
とあるミカンの品種は、極限まで水を上げずに乾燥させた土地で育てることで甘さが濃縮されるようになるものがあるらしいが、
それと似て皮肉なことに、俺の身体は大きく、強くなっていった。
だが、親父はそれを見ると今度は―妹の奈由へと矛先を向けるようになった。
奈由は次第に心を病んでいき、そしてある日…

突如としてズボンのすそを掴まれ、俺は我に返った。
足元を見ると、小さな子供が怒ったような顔つきで俺を見ていた。
「でんしゃがくるよ!あぶないよ!」
よくよく聞くと、踏切の警告音が鳴り響いていて、少しすると快速電車が俺の前を走り去っていった。

「ご…ごめんね、お兄さんぼうっとしてたみたいだ。ありがとうね」
俺はその子の頭をなでて、笑顔を見せようとしたが、はっと手を止めた。
「ごめん…臭かったよね、僕、一人で帰れるかい?ケロリ―メイト…いるかい?」
懐に手を入れてケロリ―メイトを探していると、子供は開いた手を前に出しながら、
「知らないおじさんからは、物を貰っちゃダメって言われてるんです!」
「お…おじ…」
「でも、臭くないよ。おじさんこそ気を付けて帰ってね!バイバイ!」
少年は駆けていった。
「おじさんって…俺まだ26だぜ…でも…」
「…臭くない…?」
秋口の空の下、成人男児は線路上で神妙な顔つきで自分の袖を嗅いだ。


「ハイ…だいたいは把握しました…で、ご住所は…」
「ハイ…大西区…ハイ…4階ですね」
「わかりました。すぐにそちらに伺います。」
何度目かの罵声を浴びせられて、ブツリと電話が切れる。

ふっ、と息を短く吐く。
「嫌な予感はしていたんだがな…」
「順当な線で行けば、家出だろうが…」
「ゆーみの最後の投稿は…」
永井は汗だくの手で焦りながら携帯でピックポックを起動し、
フォロー一覧から「ゆーみ」をタップする。
ゆーみは、活動初期から永井がフォローしている。所謂古参ファンというやつだ。
彼女の生配信は庶務中でも必ずワイヤレスイヤホンでチェックして、投げ銭もかなりしてきた。

彼女の配信スタイルは、身の回りのことについての愚痴等、よくある自分語りをしながらコメントに返事をしていくと言ったものだ。
また、特筆すべき大きな特徴は「毎日配信」で、内容はともかく毎日決まった時間に必ず配信を行うので、永井のようなフォロワーから新規フォロワーまで、ファンは多かった。
2年前から永井は、毎日ゆーみの配信を聞いてきた。
肉じゃがが好きなこと、父親からなんでも買ってもらえること、兄貴が刑事になってから、遊んでくれなくて苛立っていること、学校には行きたくないこと。妹が好きだったこと、
その妹が、何者かに殺されたこと。

大方、高橋から聞いていた家族構成や特徴、エピソードや、ゆーみの声と彼に撮影を頼んだ動画の声が一致していたので、
高橋の妹がゆーみだということも把握していた。
だからといって、ゆーみのファンという自分のスタンスは変わらなかった。
永井はゆーみのことを、まるで自分の娘のように想っていた。
彼女の配信が荒れる方向に傾きそうであれば高額の投げ銭で意識を反らしたし、悩みには真摯に向き合い愚痴を聞いて向き合った。
彼女の父に対する思いも、兄に対する思いも、兄が部下であることもあって他人事では思えなくなっていった。

なので、永井は狼狽していた。
ゆーみは1週間前に、
「カゼっぽいから病院いてくる!夜は配信するからみんなまててね!おはゆーみっ!🌞」という自撮りの投稿とともに、ぱたりと活動をやめていた。
ファンの間では、フォロワーが1万人を突破したので飽きたのでは?という憶測も立てられていたが、永井はそうは考えていなかった。
ゆーみは、めばちこができたときも、生理痛の時も、ストーカーに追いかけられたときも、どんな時もどんな日でも必ず配信を毎日欠かさずに続けていた。
そんなゆーみが、1週間も配信をしないのは、彼女のポリシーに矛盾しているし、彼女自身が許せない行為だ。
もしピックポッカーを引退するならば、フォロワーの皆にしっかりとあいさつをして、事情を話す筈だ。
彼女は、何かに巻き込まれている。
永井は、電話帳アプリに「Y」と打ち込み、電話を掛けた。


「涙が止まらなくて」
女性は涙ながらに訴えかけた。
居室には、ヒーリングミュージックとヨウチューブで検索して一番最初に出てきた動画のアルファ波だかオメガ波かなんだかのノイズが流れている。
「去年に」
女性は語気が強まる。
「イーちゃんが亡くなったんです」
女性は、悲し気に犬の亡骸が写った写真を見下ろした。
イーちゃんというのは彼女の愛犬だったそうだ。
彼女の話では病死だったそうだが、『鴉』の調査によるとかかりつけの動物病院では―――、
「あの子が亡くなってから…仕事中でも悲しい気持ちになって」
さらに、傷病手当金の申請履歴からも、彼女は――――、
「元谷先生!!」
机を叩き、その衝撃で茶器が転がって机から落ち、割れる。
「聞いてますか!?」
カーペットには―紅茶が染み込んでいく。
「―その紅茶は」

「はいィ!?紅茶!?」
「今は私の――!」
携帯電話が鳴る。
「失礼。」
「はァ!?おいッ!!!」
「――ッ!?」
女性の喉元には、冷たい殺意を持った鋭さが間近に突き付けられ、女性は息をのみ口をつぐんだ。

私は片手で電話に出た。
「はい。元谷です。」
「ご無沙汰しています。 ええ。去年の事件以来ですか。」
「いえ。別に気にしていないですよ。」
「で、また同じようなお話ですよね?」
「ええ。・・・構いませんよ。」
「ちょうど・・・”そういう波”だったので――」
「はい。またご連絡ください。以前と同じく午前10時以降に。」
電話を切り、息を吸う。
4秒吸って、4秒吐く。4秒吸って、4秒吐く。4秒吸って、4秒吐く。
小麦畑、林檎、ニジマス、竹林、山菜、野鳥、紅葉、きのこ、うさぎ。
私は、落ち着いている。冷静で、自分を制御している。
でも。

「――私は腹を立てています。」
「へ、は、はい?」
私は”それ”でカーペットを指した。

「さて、ここで質問です。私は”どれ”に腹を立てているでしょうか?」
「A:カーペットが汚れたこと。
B:茶器が割れたこと。
C:机を叩いたこと。
E:大きな声を出したこと。
D:それ以外。」

「え・・・え?」
「答えて」
”それ”を再び向けられて、女性は狼狽する。
「ヒィ!?エッ・・・ハッ・・・ハッ・・・!!?」
「失礼」
”それ”をしまい、女性の横に座り、肩に触れる。
「あなたは、落ち着いている。」

「は・・・?」
「復唱」

「わ、私は、落ち着いている…」
「私に続けて」
「私は落ち着いている…私は落ち着いている…」
「あと10回」

ひとしきり一緒に唱え終わると、女性の顔は引きつりつつも血の気は引いたようだった。

「あなたは、落ち着いていますか?」
「は、はい・・・すみません・・・」

「それでは」
「先ほどの答えを聞きましょう」
「エエト…”D:それ以外”だと思います。」
私は5度ほど眉をひそめた。
「いいですね。では、具体的にどこに腹を立てたのでしょう?」
「紅茶が…いいものだったから…」

やはり―――。

「不正解です。」
「エッ…?!」
私は女性に顔を近づけて、語気を20パーセント強める。
表情は笑顔30パーセント、怒り15パーセント、哀れみ30パーセント、悲しみ5パーセント。
声は、穏やかに。


「たしかに、貴方に淹れた紅茶はプッタボン・ダージリンのファーストフラッシュ。100g3万円の些か貴方には過ぎた代物です。」
「それがわからないのであればそれでもよかった。」
手の力を20パーセント強める。
「でも、不正解です。あなたは答えを知っているはずです。」
「答えて」
「ヒィ…!!?知りません!!!本当に!!」
女性は大声で泣き始め、狂乱の様相を呈し始めた。
目線は左上と右上、唇を噛み、手を握りしめている

「ジェームズ・ランゲ説」
「彼がこれを提唱するまでは、従来は外的な刺激により心情に変化が生じ、身体になにかしらの影響―あなたで言えば涙を流すと言ったことが起こるとされていました」
「ですが、彼はこう考えました。”悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい―”のだと。」

「あなたは、それを演出していますね?」

びくっとして目を丸くする。
「2006年、マルイ商事、経理事務」
「!?」
「うつ病を理由に休職、傷病手当金を限度日まで受給後、退職」
「すこやかメンタルクリニックにて、愛猫エーくんの死が原因で発症と診断」

「2008年、イダチ物産、受付」
「うつ病を理由に休職、傷病手当金を限度日まで受給後、退職」
「せせらぎメンタルクリニックにて、愛犬ビィちゃんの死が原因で発症と診断」

「2010年、コイワイ銀行、事務」
「うつ病を理由に休職、傷病手当金を限度日まで受給後、退職」
「はなやぎメンタルクリニックにて、愛猫シィくんの死が原因で発症と診断」

「2012年…」
「もうやめてッ!!!!!!」
「何故です?ここからが傑作なのに」
私は笑いがこらえきれなかった。
「フフッ、動物を犠牲に怠惰な時間を過ごして…フフフ」
「そのうえ悲劇のヒロインを演じる…アッハッハッハッハッ!!!!」
「典型的なミュンヒハウゼン症候群ですねぇ、それに気づけなかった医師も、貴方を採用した会社も、手当金を支給した健康組合も!」
「そのうえ貴方の犠牲になった動物たちも、貴方によって内定を失った休職者も、皆貴方の演技に騙され、運命を捻じ曲げられた!!!
これは・・・傑作ですよ!!!」
女性の肩を握る手の力は一層力を増す。

「なにより面白いのは…フフ…わざわざ殺したことですよ…!!
どこかへやって、いなくなったとか、亡くなったことを偽装すればいいものを!わざわざ毒殺やらなにかで死に追いやって、それの写真を撮って医師に見せているんですよねェ!?フハハハハッ!!!」

女性は涙を目に浮かべ、顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいる。
だめだ――――愉快で、奇怪で、面白くって――たまらない。
これほどの上物は久々だ。

「おおかた今回も、”その手”でお金を貯めて、ホストクラブに通うんですよね?”姫”?」

下を向いた女性の顔はいよいよ赤とも黒とも取れないほどに激昂し、
視線も口も壊れかけのロボットのようだった。

「おおっと」
いけない。また壊すところだった。
私は前向きに首を下したあと、後ろ向きに首を勢いよく戻した。
首の骨はパキリ、と小気味いい音を立てると、
男の顔は先ほどとは全く違った、穏やかなものになっていた。

「あなたは、努力しました。」
女性ははっとして男に向き直った。
「人間は誰しも楽をしたいものです。」
「簿記、フィナンシャルプランナー、秘書検定、FASS」
「どれも一朝一夕で取得できる資格ではありません。」
「あなたは、怠惰が故に効率的な生き方を見つけ、それをやってのけて来た。日常をなんとなく生きる凡夫にはそうそうできることではありません。」
「ただ」
「動物を殺め、人をだましてしまうことに対して、どこかしら罪悪感を感じて来たのではないですか?」
女性は、まるで神の再誕を目にしたような顔だちで元谷を見つめた。

「ハイ…そうです。」
「私は、どうしても働くのが嫌だったんです。人に指図をされたり、誰かの尻ぬぐいをするのが嫌だったんです…」

「私は、貴方を理解できます。」
女性は、
「だから、」
目から、
「もう、楽になりなさい。 貴方の理想をどうやって実現するかは、私と一緒に探しましょう。」
「私と、機智に優れた貴方ならきっと、見つけられるはずです。」
本当の涙を、流していた。


女性は元谷のセラピーを受講する138人目の患者となった。
セラピーは月一回、受診料は一回に付き30万円。
女性は憑き物が落ちたような顔だちで、元谷の自宅兼診療所を後にした。

外に出てから深々とお辞儀をする女性を、元谷は笑顔で手を振って見送った。
女性の姿が見えなくなると、元谷はすかさず手を嗅いだ。

目に光の無い、タートルネックを着た細身の男は、
「臭い」
とだけつぶやくと、1時間以上かけて手を洗い続けた。
暗闇の居室の中には、
ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルの 「"サラバンド" 11」が延々と流れ続けていた。

第一話 「臭う」 -終-

画像は「やすばる」様の「ストイックな男メーカー」を使わせていただきました。

第二話はこちら⇩


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