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太宰治『斜陽』
『読後感』という言葉を小学生の時に習った。いい作品というのは一通り味わった後、読後感に浸れるものだ、ということを当時結構好きだった国語の先生が言っていた。
それ以来どんな作品を鑑賞するときも、読後感に浸れたものは自分にとって大切な作品になる、といつも意識していた。太宰治の「斜陽」は、読み終えてから数日頭を離れないくらい感じるものがあった。私自身、父のお陰で昔は少し裕福な家庭で育ったこと、その父が中学生のときに亡くなって徐々に贅沢ができなくなったこと、そして今、母の体が少しずつ悪くなっていることもその理由かもしれない。
「斜陽」における太陽は、最後の貴族として生きたかず子の母だと思う。彼女が持つしなやかで可愛らしいところは、かず子や直治の支えとなっていた。そんな美しさの陰で母の病は徐々に深刻になり、やがてかず子や直治は暗闇の中に取り残されてしまった。かず子はその中で、自分が生きるために叶わない恋を原動力として突き進んでいったが、直治にはそれができず叶わない恋を抱いたまま自殺した。
私の好きなアーティストであるヨルシカ「斜陽」は太宰治の斜陽が題材となっている。
もう一つで
僕は僕を一つは愛せたのに
これは直治の心情だろう。同じ「叶わない恋」を抱えたきょうだいでも、直治は生きるために戦ったり、誰かに頼るということができなかった。直治は師と遊んでも奢られることに抵抗があるくらいだ。直治にはどうしても手放せなかったこの貴族らしい習性は、直治自身を生きづらくした。これが太陽が沈んだ後の世界を生きると決めたかず子との違いなのだろう。
誰の生き方が正しいとかは、私にはわからず、ただかず子の母のように、最後の貴族のように綺麗に生きたかった。そんな考えを持つ時点で、私はかず子のように革命を起こすことはないかもしれない。