子ども達の1番可愛い頃の記憶。
子ども達が通っていた保育園の近くを歩きました。
自転車の前と後ろに子どもを乗せて、両肩にお昼寝布団を掛けて運転していたあの頃。
私は、時間に追われて、鬼にような形相で自転車を漕いでいたはずです。気合いを入れないと、重すぎほる自転車は前に進まないのです。
そして21時の就寝を目指して猛烈に動きました。(もちろん平日はワンオペです。)
子どもごと自転車を壁に倒してしまったり、息子の足を車輪に巻き込んで、レスキュー隊を要請したりと、いろいろ派手にやらかしていました。
雑な上に鈍臭い母だった私。
だから「自転車が可哀想…」とかよく言われていました。
そして毎度「私ではないんかーい❗️」とツッコむ私。
もうあの時代の、あんな馬力は2度と出せない。絶対に無理❗️
さらに息子が生まれて、別の意味で目が回る忙しさになりました。
・・・
でもね、夫も母も含めて、たくさんの人の手を借りて子ども達を育ててきました。
保育園へ入園するときの大量の荷物は病院の先輩が車で運んでくれました。
私が入院した時は、同僚が子ども達を送迎してくれました。
新学期の前には、友だちがぞうきんに給食袋を縫ってくれました。新しいズボンの裾上げも…
まさに皆さまのお陰です。ありがとうございました。
小さな雑木林で、どんぐりを拾い集めていた子ども達は、あっという間に大きくなりました。そして私より大きくなりました。
実はあの頃、あまりに必死だったので、子ども達の1番可愛い時代の記憶が、あまりありません。
ちょっと残念です。
すごく残念です。
でも今も可愛いからいいかな😆
いわゆる親の欲目ですな。
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