「生きている者は進化するのである。」
私の亡くなった夫は、過度の「してあげたい」人間でした。ズボラな私は、「thank you」とばかりに、どうぞどうぞ何でも夫に任せていました。
どうやら夫は、私のことを家事スキルの低い、バカだと思っていたようです。ネット検索で明日ら「僕がしてあげる」と私は何もすることがなくなりました。夫の不在中に仕事に行き、子どもの世話をするぐらいでした。
その頃になると、夫は機械にも強くて、料理や家事スキルも高い賢い人だと自然に思うようになっていました。
「この人は何も出来ないから。」と人前で言われるようになり、じわじわと私の自己肯定感が崩れていきました。
「僕が死んだら、君は生きていけるのだろうか。」
とこんなことまで言われていました。
(今なら、コイツはバカじゃないのか!と言い返します。)
ところが、何かの間違いか、夫が急に亡くなりました。当然私は「私は何も出来ない!私が死ぬべきだった。これからどう生きていけばいいのだろう。」と嘆き悲しみました。
しかし
夫の死後、彼の悪事が次々と露見し、葬儀のあと、腰を抜かすこと1回、心労で倒れること1回を経験しましたが、「そんなことしている場合じゃない!」と、立ち上がり事後処理にあたりました。
当然、それからは何でも自分でやらねばならなくなりましたが、意外にもそれはとても楽しいことでした。パソコンを買い込み、NTTヘルプデスクにお世話になり、自分で設定を行いました。当時の支援学級の息子の担任に、学校行事のたびに豆知識をもらいました。
苦手で夫に任せてきた、家計の見直し、家事スキルの向上、断捨離、子どもの教育など、図書館で本を読み漁り、勉強しなおしました。彼の知識の凄さを無条件で、尊敬していましたが、その情報の取り方を理解すると
「なんだネタ元は、ネットかよ。」と思うようになりました。
(今なら、そのネタは信憑性あるのか?その根拠は?と言いがかりをつけます。)
あちこちの業界の人と知り会ったり、オファーを受けて社会経験を積むと、次第に「社会というのは、このように成り立っているのか。」と理解できるようになりました。
かれこれ、夫が亡くなり10年が過ぎました。私はネットで見かけたことを、自分でやりたくて、家電店で必要なものを買い込み、あれこれ試しています。決して高いレベルではありませんが、自分で調べて実行する過程を頑張っています。
要するに、私は夫がいなくても、すこかやかに成長しているし、子ども達も、痩せ細ることなく健康に成人しました。
生きている者は進化するのである。
何事も怖がらず、トライして見ると、なんてことない場合が往々にしてあるということです。要するに不安や恐怖は、意外と自分自身で想像した「幻」だったりするのです。悩むなら、とりあえず立ち向かってから判断したらいいと思います。
しかし恐怖の指導教授は実在しているし、これまで相当抵抗して来たけど、煮ても焼いても倒せない相手だということは、理解していますがね・・・とほほ