夫婦のゆく先

老年期看護
長く老年分野の看護に従事していたので、友人・知人からの介護・病気の相談を受けることがあります。今回、認知症の相談があったので、最近、出版された本を手にしました。

飯塚友道「認知症パンデミック」ちくま新書

コロナウィルスの流行による自粛とソーシャルディスタンスは高齢者からコミュニケーションの場を奪いました。予想通り認知症患者が増加していると書いてありました。

相談事例
最近、夫が若年性アルツハイマーの診断を受けたと知人から告白されました。実は随分前から、認知症の疑いがありましたが、本人が受診を拒否していたのです。
診断が出たら、一般的に会話を増やし、散歩などの活動を増やし刺激を与えて、病気の進行を遅らせるような生活指導をしますが・・・

それが非常に難しいのです。

もともとから夫との会話は無いからです。女性は友人・知人・子どもとのコミュニケーションをする対象が比較的ありますが、男性が女性ようなコミュニケーション圏を持つ人は、女性ほど多くはありません。

日常
普段から夫に声をかけても「知らん、分からん、興味ない」と言われ続けているとそのうち会話がなくなります。つまりガラガラピシャと心のシャッターを閉じられた気分になります。

一緒にテレビを見ていても「あいつはバカだ。なんでこんな奴がテレビに出てるんだ。」と悪口ばかりで不快。当然、会話の糸口も見出せない。

近所で子どもたちの下校見守りのボランティアをしてみないかと言うと「俺の孫でもない他人に、なぜそんなことをしなければならんのだ。」こんな感じだからご近所さんとの付き合いも皆無・・・

妻が出かけようとすると「誰と行く?どこへ行く?いつ帰る?」と毎回同じことを聞かれるそうです。毎回同じことを繰り返すので、さすがにうんざりです。

言葉や態度の端々に「俺は偉い!」という傲慢な匂いがプンプンしてくるそうで、子どもたちも煙たがり寄ってきません。日本の好景気時期を背負ってきたという自負があるから、そのプライドたるや無駄にエベレスト級なのでしょう。

だから
長年、不満を飲み込んできた妻に対して、病気の進行を遅らせるために、会話を増やし、コミュニケーションを取りましょうと言うのが、気の毒でならないのです。

病気の宣告を受けたショックと、これからの不安でいっぱいの妻は心の中が混乱しています。だから妻が発する言葉、主に夫への長年の恨みつらみに耳を傾けます。妻が冷静さを取り戻すまで、そばにいるのです。それしかできません。

わたしは個々の夫婦関係、ご家庭のことは立ち入ることはしませんが、長年関係がこじれている家族が、病気を境に献身的に介護するなんてことは理想論です。

家族だから妻だから、しなければならばいと強いられることは辛いことです。でも誰かがしなければならない、家族だから・・・目を背けたくなる現実があるのです。

だからそれぞれが、現状を受け入れ、どうしていくかを考えることができるようになるまで、わたしはそばで待機しているのです。いつでもスクランブル発進で飛んでいけるように。

※相談はわたしの交友範囲内のものです。なお記事は幾つかの事例を組み合わせた上で、一般論的に記述しております。ですので特定の個人を指すものではありません。

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