ふと思い出す「大豆田とわこと3人の元夫」名言より
「別れたけどさ、今でも一緒に生きてるとは思ってるよ」(2話、とわ子)
独り昼ご飯のトーストとパンを食べながら思い出したセリフです。
別れても、離れても、亡くなっても、その人と生きるって、いいな…
東京に住む元秘書の友人とは、会うことはないし、メールもしません。私は年賀状を出さないけど、友人は毎年送ってくれます。心苦しいから年賀状はヤメてくれないかな…
「ハガキが返送されていないことで、あんたがそこに居ることを確認してるだけだから、返信はいらないよ。私が知りたいだけだから」
こんな感じで、何年も電話もメールもしない関係なのです。
しかし私は彼女が私を必要としたときに、何がなんでも助けに行く友人です。賢く聡明な彼女は、私の助けを必要としたことは、これまで2度しかありません。
1度目は父親っ子の、彼女の父が息を引き取った時でした。泣きながら電話が来たので、夜勤明けで寝ていた私は、飛び起きて病院へ原付バイクで走りました。
「知らなかった。なぜ言わなかったの。」
「何回も言いたかったけど、迷惑をかけると思ったから…学校の勉強も仕事もしてるから、忙しくしてるし」
バカなことを言うな。どんなことがあっても駆けつけるし、全力で助けに来るだろ、来させろと怒りました。そして出来る限りそばに居ました。
葬儀の日に看護学校の物理の試験があるけど、どうせ追試だから、参列すると言っけど、頑として拒まれました。
「試験に落ちたら、許さないよ」
仕方ないから試験を受けたけど、物理学なんて通常なら赤点確実なのに、奇跡的に合格点でした。これは彼女の父上のはからいだと感謝していました。
それから、何年も過ぎて、なんの相談も途中経過の報告もなく、突然、彼女は結婚して、秘書を退職して東京に行ってしまいました。もちろん結婚式には参列しました。和装のカツラをつけたら、母上そっくりで爆笑して、嫌がられました。
たぶん私は、自立した彼女のそんなところが大好きなんです。
数年前の2度目のSOSには、「よく声をかけてくれた。ありがとうね」と感謝して、できる範囲で、彼女の力になりました。
おそらく自分で対処出来る範囲だからでしょう。簡単にSOSをくれる人じゃないからこそ、逆に連絡が来ないことに安堵しています。
だから遠くに離れているけど、私は彼女と一緒に生きていると思っている。そんなことを思い出していました。
ドラマのとわことかごめちゃんとはまた違う友達関係ですが、離れてても亡くなっても一緒に生きている友達なのです。