
仰げば尊し、我が師の恩。
私は先生という種族の大人が好きでした。特に自分の好きな社会科の先生の授業を熱心に聞いていました。
高校の成績はどれもこれも低空飛行でした。でもその学校は、そんな生徒でも居心地の良い場所だったので、牧場で放牧されているような3年間を過ごしました。
それでも日本史や現代社会など好きな科目は、やはり面白かったです。進路を考える時期に、日本史を教えてくれていた担任が、「唯一日本史だけが得意だから大学の歴史学部とかもあるよ。」と教えてくれましたが、歴史学部に行って、その先に何があるのかが、まったく想像できませんでした。
それより何より成績がガタガタで、数学ダメ、英語最悪、理科系NG、古典、漢文は論外と差し引いていくと、大学を受験する科目が見当たりませんでした。
なんとか帳尻を合わすように、短大の保健学科で養護教諭になろうと進路を見つけ出しました。ただ単に保健室の先生だと、空き時間に本が読めるだろうという安易な動機でした。しかし予想通り、志望した学校を全て落ちたのです。
結局、担任が「この学校、短大で文化史があるから、受けてみたら。」と教えてくれた短大になんとか救済されたのでした。
そこで運命的な出会いがありました。唯一無二の指導者であるY先生という尊敬する師匠に出会うのです。先生の講義は私に衝撃をもたらしました。表情を変えず淡々と語る講義の中で、ものすごく笑えるネタをぶちかますので緩急があり、90分授業があっという間に思えました。生まれて初めて学問の面白さを教わりました。私は2年間、最前列中央で講義を聴き、1番弟子、直弟子、Y組の若頭と言われる学生になりました。
実は高校3年間は、小中学校に比べて読書量が減っていましたが、短大で猛烈に本を読み出しました。Y先生は一人一人の学生に、テーマに基づく参考図書リストをくださいました。このリストを起点に巻末の参考図書をたどり、枝葉のように本を読み続けていき、際限なく知識が広がって行きました。
「ここは短大だが、大学とはこういうものだということを教えたい」がY先生の方針でした。高校までの勉強はまったくできない私でしたが、高等教育では「学問は自由」であることを知りました。
しかし短大卒業後は看護の道に進むことになり、肝心の卒業レポートが疎かになりました。卒業式の時に、Y先生が「もっとできると思ってた・・・」と呟かれていたことが、心に突き刺さりました。申し訳ないと思うと同時に、学ぶべき場で、ベストを尽くせなかったことが、悔しくてなりませんでした。この言葉にリベンジするために、20歳の私はいつか大学に戻ろうと心に誓いました。
この春、大学院を卒業のご報告をしました。論文の抄録の印刷を同封し、お礼のお手紙を書きました。やっとY先生に奥様を通じてご報告が出来ました。先生は今の私を褒めてくれるでしょうか・・・
先生が亡くなって20年近くが過ぎていました。ずっと先生に褒めてもらいたいと頑張ってきましたが、間に合わなかったのです。もしかしたらあの世に行くなと、私は先生の足を引っ張って離さなかったのかもしれません。これで先生は安心できますね。これまでありがとうございました。
これからは自分自身のために、その先を目指します。