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読書感想文|ふしぎの国のアリス

また幸せについて考えていた話

以前アンパンマンの作者であるやなせたかしさんの著書である、『わたしが正義について語るなら』の読書感想文を書いた。
あれからまた、やなせさんの『ボクと、正義とアンパンマン』を読んで彼の生い立ちや、子どもの頃に影響を受けたものについて知ることができた。
いずれの著書の中にも登場したものの一つがルイス・キャロル著『ふしぎの国のアリス』である。
恥ずかしながら、古典的名著とされるこちらの作品を私は生まれてこのかた読んだことがなかった。あれだけ自分は読書の虫として育ったなどと豪語しておいてお恥ずかしい。

さて、ぼくの中でぐるぐる考え事を巡らせてやまないものが、「幸せとは何か」である。この難題を解き明かすために読書に耽っている。そして出会ったのがアンパンマンである。という話は前回に散々書き散らしているのでここでは紹介に留めることにする。
この、『ボクと、正義とアンパンマン』に出てくる象徴的なフレーズが、第3章の見出しにもなっている”人生はよろこばせごっこ”である。
まさにこれは、ぼくの求める幸せとは何かの答えに限りなく近いように思える。
結婚し、子どもがいるこの環境において、ぼく自身の幸せ”だけ”を追求することはいささか虚しいものである。自分が幸せで、誰かを幸せにできることが、人生における幸せの定義である、と思えるようになっただけでも、この本に出会えたことに感謝を禁じえない。

幸せについての大まかな定義ができたところで、あとは肉付けをしていきたい。つまり具体的に何をしていきたいかを考えることを目指したい。
このことについては、まだふわふわしていて決まっていない部分も多いので、もう少し考えがまとまってから書くことにしよう。

図書館経由水族館行き

2歳になった息子と一緒に図書館に行き、水族館の生き物の本と、アリスを借りた。どちらもぼくが読むためだ。近くの水族館の年間パスポートを手にしたぼくたち家族は、ほぼ毎週休みの日には水族館に行っている。
イルカ、ウミガメ、ペンギンこれらメジャーな海の生き物たちだけでなく、息子の興味はトゲチョウチョウウオや、マンタと多岐にわたる。もはや息子の口癖である「これ、なにー?」にだんだん答えられなくなっていく自分が情けない。元々知識欲が強いぼくからすれば、息子の反応は至極普通である。知らないものを知りたいというのは素敵なことだと思う。
そして親という身近な先生が教えてくれないこの状況がなかなかに悔しい。
ところで、海の生き物図鑑をみなさんは手に取ったことがあるだろうか。これがなかなか曲者で、「さかな図鑑」だとイルカやシャチといった哺乳類が載っていない。でも「どうぶつ図鑑」だとどうなるかは言わずもがなであろう。また海辺の生き物図鑑なんてものもある。貝とかエビとかが中心になる。つまり、水族館で暮らす生き物たちを網羅する図鑑というのはなかなか難しいのである。ぼくはポケットタイプで持ち運べるような図鑑をその日は探していたので、さかな、どうぶつ、海辺、川辺と図鑑が分かれてしまうのはあまり好ましくなかった。
ちょうどその時に出会ったのが福武忍さん著『すいぞくかんにいこう』という本だった。まさに今の自分にぴったりの本に出会えた。これだから図書館は面白い。図鑑形式ではないが、水族館で見かける生き物たちの生態が描かれた良本である。夏の自由研究におすすめの一冊だ。

ふしぎの国のアリス

借りてきたアリスを手に取り読み始めたのだが、まあなかなかに入ってこない。名前だけ知っていて物語の内容をまるで知らなかったので、どんな話だろうと思いながら読み進めた。
正直あとがきを読むまで話の意味がわからなかった。意味がわからなかったというよりも、何が言いたいのかわからない本だと思った。
何が面白いんだ?主義・主張もなければ、教訓めいたものもない。伯爵夫人が二言目には教訓は、、、とアリスに言ってくるがそれも大した教訓をいっているわけでもない。
何なんだこの本は??頭の中でクエスチョンマークが飛び交った。
翻訳本でかつ、古い訳本であったため少々読みづらい部分もあったが、内容は平易なもので、半分を終えた頃には、意外にも物語にも引き込まれていた。ちょっとおかしな動物たちや、アリスのおませさんな感じがクセになってくる。休日の午前いっぱいを使ってこの本を読み終えることができた。
結局何が言いたかったんだ?しかも夢オチかい!と思いながら訳者後書きを読んでハッと気付かされた。
ここからはかなりぼくの感想であるので、夏の読書感想文として提出すると、先生にはかなり嫌われると思う。

言いたかったことと、大人になってしまったぼく

この本が言いたかったことは、多分色々あると思う。主人公であるアリスの冒険心だとか、嘘はついてはいけないとかなんとかかんとか。
でも、ぼくが読み終えて思ったこと。それは、子ども時代に出会いたかったである。
何を言っているかわからないのは、ぼくがバカだからではない(と思いたい)。ぼくがこの本に何かを言ってると思いながら読んでいるから、何を言ってるかわからないと思っちゃうし、楽しめていないんじゃないか。というのが感想だ。
最初にも書いたように、ぼくはディズニーの映画も、アニメでも絵本でもこの物語を見たことがなかった。本当に初めてこの物語に触れた。嫁がキングダムハーツをやっていて、アリスが出てきた時に、これは誰?と聞いたくらいだ。ちなみにディズニーの映画で主人公を張っているのにディズニープリンセスとしてはカウントされないらしい。ふしぎだ。

どんだけ好きなんだと言われそうだが、アンパンマンの話に戻る。販売当初アンパンマンは少なくとも大人からの評価は全くダメだったらしい。ぼくは生まれた時からアンパンマンの顔は売れていてみんなのヒーローだったから、この話を聞いた時に驚いた。と、同時に確かになと思うところもあった。顔を食べさせてくるヒーローは受け入れ難いかもしれない。ではなぜアンパンマンがこれほどまでに広まったのか。それは子どもたちが純な気持ちで楽しんでくれたからだという。絵本の評価をするのは大人ではない、親でもない、子どもだ。とでも言ったところだろうか。
やなせたかしさんも幼少期に影響を受けた本の一つとしてこのアリスを挙げている。アンパンマンのストーリーには本当に数え切れないほどのキャラクターが登場しているが、これもそういう影響なのかもしれない。

アリスの物語は、センスで見せつけるお話ではなく、まさに不思議を詰め込むことで読者を惹き込んでいく児童文学としてただただ読者をそのストーリーの中に、文字通りふしぎの国の中に閉じ込めてしまう、そんな物語に感じた。

初期情報なしで読んだので部分的にある挿絵をもとに、頭の中でイラストをイメージしながら読んでいったが、これがまた難しい。しかも言ってることがはちゃめちゃで会話がチグハグだったりするから、言語的思考も視覚的思考もぶっ壊されながら読むことになってしまった。
ではなぜ、この物語がここまでぼくを惹きつけたのか。それは、ぼく自身がこのふしぎの国の中に落ちていったからに他ならないだろう。作中でもアリスは、初めのうちはこの奇妙な世界での出来事に困惑している。読者であるぼくもそうである。だが、どのあたりだろうか、チシャネコが登場する頃には、アリスもぼくも、もうこの世界の中にすっかり溶け込んでしまったのである。初登場で道案内をするネコ、猫がニヤニヤしてることとかもう疑問に思わなくなった。
本の中にアリスがいる。グリフォンとにせウミガメと話している。その会話をぼくも海沿いに立って聞いている。そんな気分だった。
もう何でも良くなるのだ。そんなことよりアリスとこのふしぎな世界をもっと感じていたいとまで思えるようになっていた。

大人になってなおこの惹きこまれ体験。子ども時代の純な心で読むことができたらどんなに楽しかっただろうか。おそらくぼくもこの本を手に原っぱに出かけては、時計を持って走るふしぎな時計がいないものかとひぐらし過ごしていたかもしれない。きっとそうしていただろう。
いつか息子が大きくなったらこの本を読み聞かせてあげよう。一体どんな反応をするだろうか。何だかアリスみたいにちょっと気取ったおませさんになってそうな気もしてやまないから、彼女みたいに堂々と目前のことをこなしていくかもしれない。

子どもの頃は何にでもなれると思っていた。今のぼくは何者かになれただろうか。まだもがいていてもいいのだろうか。そんなことを思い出しながら、このnoteを書いている。ふしぎの国のアリスは読んでこそ分かる難しさと楽しさがあると思う。まあ、アニメで見た方がわかりやすくていいと思うし、ファスト思考なこの時代に、時間をかけて読むことを躊躇う方もいるかもしれない。まあでもそれもいいと思う。人間の生き方なんて人それぞれだし、別に口出しできるほど偉くもない。
でもぼくは今回この本を手に取って読むことができてとても嬉しく思う。最近の読書記録がアンパンマンとふしぎの国のアリスということで、どうやら30代にして幼児退行を起こしているみたいだ。飲み会のネタにはなるだろうか。

幸せとは何かを探る果てのない旅の途中に出会ったアリスへ。
ぼくはあなたに会えて、この世界は思っているより整っていないし、思い通りにならないかもしれないけど、楽しく前に進むことはできることを思い出させてくれました。首もちょんぎられたりしないし、元気に生きていこうと思います。

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