それを新しい名で呼ぶならば(ヨコハマメリー=アウトサイダーアーチスト説再考)
●それを、新しい名で呼ぶならば
拙著『白い孤影 ヨコハマメリー』のなかで、「ヨコハマメリー=アウトサイダー・アーチスト説」という持論を提示した。
この見解に対して、アウトサイダーアートの研究者である甲南大学の服部正教授にコメントをお願いしている。
このコメント原稿だが、先生ご自身の手直しを経て学術媒体に掲載される流れとなった。
「メリーさんはアウトサイダー・アートか」(『心の危機と臨床の知』21号)甲南大学人間科学研究所 2020年3月20日発行
https://konan-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3577&item_no=1&page_id=40&block_id=38
このことを以て、ヨコハマメリーをアート的観点から語った前例ができた、と言えると思う。
「ミス・サイゴン」や「蝶々夫人」的な悲劇の物語だけが、彼女を語る物差しではないはずだ。
もっとも服部教授は「収集というアート界の制度」ゆえに、メリーさんはアウトサイダーアートの範疇に入らない、と結論づけている。
この点について、異議を申し立てるつもりはない。
専門家から新たな観点を教えられ、議論が深まったと感謝している。
ただ改めて思うところもある。
メリーさんはアウトサイダー・アーチストではないかも知れないが、彼女なりの活動をしていたことは間違いがない。それにはまだ特定の名前がついていないのではないか。
この点に関して、服部教授とかんたんなメールのやりとりをした上で考えたので、ざっくりまとめてみたい。
●拡張するアートワールド
美術という制度は時代とともに変容・拡張をつづけている。
元来の「欧州の美術史・美術制度に沿うもの」から徐々に拡張され、アジアやアフリカなど第三世界のスタイル、はては村上隆のように「オタク文化」までもその範疇に取り込み、膨張している。
ホワイトキューブから距離を置く作品が増えたのも、その流れだろう。
(「それは膨張ではなく制度からの逸脱や反抗だ」という返しもありそうだが、今回はスルーする)
アウトサイダー・アートも、当初は美術という制度の外側にあった。だが、いまやその内側に取り込まれてしまった。
この点に関して服部教授は言う。
●鶴見俊輔による「限界芸術論」
哲学者の鶴見俊輔が自身の著書で提唱した「限界芸術論」(同名の著作が1967年に発売されている)という考え方がある。
Googleブックスによると
と惹句が附されていたようだ。
鶴見は芸術を、「純粋芸術」、「大衆芸術」、「限界芸術」の3つに分類し、柳田國男、柳宗悦、宮沢賢治らを限界芸術の先駆者と見做した。
「(美術の)非専門家が製作し非専門家が享受するのが限界芸術」の考えの通り、漫才、落語、絵馬、マンガ、果ては修学旅行まで、芸術の枠から外れたものもその範疇とされる。柳宗悦の名が上がっていることから民芸運動(家具や荒物、手工芸品など)も含まれるのだろうし、宮澤賢治の「農民芸術」的な里山の文化も該当するのだろう。
アウトサイダー・アートとは、アカデミックなアートの座標からはみだした「周辺芸術」を、アートという制度に包摂する制度だと考えられる。
つまり「純粋芸術」に認定された「限界芸術」の一角なのだろう。
こういう前提に立って考えたとき、メリーさんの活動は「純粋芸術」ではないのかも知れないが、「限界芸術」には当てはまると考えられそうだ。
●「見立て」というアート
限界芸術は芸術という制度の外側に存在した種々雑多なものに、新たな名前を与えた。
ただし表現/創作/製作活動の当事者がアートだの、芸術だのになびかないという事例は起こりうる。
たとえば「クシノテラス」で知られる、「アウトサイダー・キュレーター」の櫛野展正さんはそうした人物の一人だろう。
服部教授は櫛野さんについて、次のように書く。
実際の所、櫛野さんの紹介する「作家」はアート・ワールドから判断する限りにおいて、制度上作家たり得ないはずである。
「アウトサイダーアートの外側に位置する、まだ名前のないなにか」(ただし限界芸術には含まれるはずだ)なのだろう。
櫛野さんの紹介する「作家」の中には、メリーさん同様、町中で目撃され、かつ収集という制度に適さない者がいる。
岡山のホームレス「爆弾さん」が典型例だ。
服の下に全財産を詰め込み、腹の部分が妊婦のように膨らんだ姿の「爆弾さん」。
この姿に「アート」を見て取るのは、櫛野さんのセンスだろう。
つまり「爆弾さん」よりも、むしろ櫛野さんのキュレーション活動の方がアートなのだ。
キュレーションという行為は、近年しばしばネット上などで言及される「広義の編集」行為に該当する。
つまりネット時代に入って一般化した表現活動や創作活動の一形態なのだと思う。
美術の世界における「観客参加型アート」や「共同制作」などと相俟って、櫛野さんの活動はひじょうに今日的なアート活動になっていると感じる。
櫛野さんの仕事は、赤瀬川原平の「超芸術トマソン」とどこか似ている。
トマソンは美術概念というより、考現学のような疑似学問だと個人的には思う。
櫛野さんのキュレーションも、きっと櫛野さん自身にはアートなのかどうかはどうでもよくて、「考現学の異端」的なスタンスに依っている気がする。
これについては、服部教授に同意していただいた。
至言である。
●奇天烈な老人が生涯をかけた活動の真名は?
櫛野さんは拙著『白い孤影 ヨコハマメリー』巻末の解説を担当していただいた都築響一さんと関わりのある人物だ。
都築さんに解説をお願いしたのは編集者の発案だが、それを了承したのはエロサイトの惹句、暴走族の特攻服、寝たきり老人の独語などを「現代詩」として捉え直したり、デコトラや族車、見世物、秘宝館、ラブドール、スナックなどといういかがわしく、毒々しいものへの偏愛をみせる都築さんの仕事を知っていたからだ。まさに限界芸術的なスタンスで対象を切り取るクリエイターと言える。
氏には『独居老人スタイル』なる、奇天烈な老人たちを取り上げた著作もある。そんな都築さんが、メリーさん(の本)をどんな風に斬ってみせるのか。彼女をアウトサイダー・アーチストに見立てたことにどう反応するか、興味津々だった。
しかし都築さんは拙著をあくまでも「横浜という街の本」だと受け止めたらしく、アウトサイダーアートの部分はあっさりスルーされてしまった。正直な話、かなりがっかりした。
じつは櫛野さんからもコメントを断られている。
そんなこんなでメリーさんを「悲劇の主人公」という語り口から解き放つのは、一筋縄ではいかないようだ。
メリーさんはその後半生を、白い服を着て街角に立つという行為に捧げた。
彼女のこの活動が「待つ女」の神話から切り離され、活動それ自体を捉え直すことになれば、と思う。
それさえ実現できれば、彼女の行為がアウトサイダーアートであろうが、限界芸術であろうが、もっと別のなにかであろうが、不都合はない。
とは言え、活動自体の名前(ジャンル名)がはっきりしている方が万人に受け入れられやすくなることは、容易に想像できる。
そこで問いたい。
ヨコハマメリーが生涯をかけた活動。それを真の名で呼ぶならば、なんだろうか?
トップ画像)Photo credit: Tomas on Visual hunt / CC BY-NC