メリーさんは「本当は」なぜ立ちつづけていたのか、に関する考察
白いドレスを着たいわゆる「ヨコハマメリー」に関する考察です。
(しばらくの間、無料公開とします)
拙著『白い孤影 ヨコハマメリー』のなかで提示しているとおり、彼女の運命の相手である「米軍将校」はハマっ子の空想の産物だったと思います。
そもそも「アメリカの将校を待ちつづけている」という噂を彼女から直接聞いた人間はいませんし、確認した人間もいません。彼女が「将校を待ちつづけていた」と言われたのは、西洋かぶれしたドレスを着ていつも人待ち(客待ち)していたからでしょう。外見からの単なる連想でしかないと思います。
米軍占領時代、GHQ は自国の兵士と日本女性の交際を禁じていました(
Non-fraternity Policy)。
占領という平時とは異なる状況下にあったため、日本人女性と遊ぶ程度でしたら、GHQ は大目に見ました。しかし結婚は軍規違反です。当然出世は望めません。
とはいえ実際のところ、結婚して日本人花嫁を連れ帰った米兵は大勢いました。しかし彼らの大部分は徴兵で従軍した下級兵士です。戦争が始まるまでは、サラリーマンだったり、学校の先生だったり、商店主だったり、農民だったりしました。軍規に対する忠誠心は高くありませんし、軍内部での出世も考えていません。軍隊生活を数年我慢してしまえば、一般人なのですから。
一方将校は職業軍人です。士官学校を卒業したエリート軍人です。親の代から軍人という人が多く、軍規に対する忠誠は絶対です。
もし米軍将校がメリーさんと愛を誓い合ったら、出世は絶望的です。それどころか処罰されるでしょう。軍内部での立場はありません。仕事の出来る男はそんなことはしないでしょう。
そもそもエグゼクティブと呼ばれる男性エリートは、道端で娼婦を買ったりしないのではないでしょうか?
それをやってしまったら一般兵と一緒です。下に対して示しがつきません。部下に舐められてしまうでしょう。
女性と遊ぶにしてもホステスを口説く方がリスクが低いというものです。おまけに将校クラスともなれば、巡業で基地にやって来る芸能人を口説き落とすチャンスさえあったのです。にもかかわらず、なぜ娼婦が永遠の愛を誓い合う相手なのでしょうか? あんなに目立つ恰好をした娼婦を選ぶ道理がありません。
それでも「『王冠を賭けた恋』のエドワード8世(20世紀の英国王)のように、社会的身分を捨て去る恋もあるのでは?」という反論もありそうです。
では、なぜ将校はメリーさんを捨てたのでしょうか?
軍での出世を諦めるほどの恋だったのに、なぜ実らせなかったのでしょう?
もっとも合理的な回答は、「そもそも将校は実在しないから」だと思います。
誰も確認していないのにも関わらず、既成事実であるかのごとく「アメリカの将校を待ちつづけていた」と書いてしまうメディア、とくに四大新聞の罪は極めて重いと言えるでしょう。しばしば大手メディアは「インターネットは嘘ばかり」と書き立てますが、メリーさんの話に関する限り、大新聞各社も嘘ばかりです。
では、彼女はなぜあの姿で立ちつづけたのでしょうか?
僕は「あの姿で立ちつづけること自体が目的だったから」だと考えます。メリーさんは、ある種のアウトサイダー・アーチスト(正規の美術教育を受けていない表現者)だったのではないでしょうか?
街娼という職業であれば、表現行為と客引きが両立できます。それが娼婦をつづけた理由だったのでは、と思うのです。
もっとも彼女自身は自分のことを「アーチスト」などとは考えておらず、純粋に自分の着たい服を身につけ、したいように行動していただけだと思います。「アウトサイダー・アーチスト」というのは便宜上の分類です。
僕が「あの姿で立ちつづけること自体が目的だった」と考える切っ掛けとなったのは、ロリータ・ファッションとメンタルヘルスの関係性です。
北海道に「合同会社北ロリ」という会社が管理する「sapporo lolita club」というコミュニティーがあります。同社を経営しているのは服飾系専門学校の講師と通信制高校の非常勤講師というふたりの女性。彼女たちがロリータ・ファッションの研究を始めたのは、不登校で気にかけていた生徒が典型的なロリータだったからだといいます。
内気で決して他者と関わろうとしないにもかかわらず、人一倍目立つ格好をしている彼女。それが不思議で「この子にとってこのファッションは何を意味するのだろう」と考えるうちに、ロリータ・ファッションを調べ始めたというのです。その過程で不登校や常習的な自傷行為、性同一性についてなどさまざまな内的問題を抱えている子がロリータには多いことに気がついたそうです。
「決して他者と関わろうとせず」「人一倍目立つ格好をしている」という点。そしてフリルのついた服。
イルカとサメのように、まったく異なる進化の道筋を辿っているはずなのに、なぜか外見が似ている動物が自然界にはしばしば見受けられます。こうした関係を「収斂進化」というそうですが、ロリータとメリーさんも収斂進化を思わせます。
コンプレックスや精神的困難を抱えている子にとって、ロリータ服は「自分を守る鎧服」のようなものではないでしょうか。レースのフリフリは幸せな気分にしてくれます。そのハッピーなパワーで抱え込んだ闇を癒やすためにかわいく装う。そんな機能がロリータ・ファッションには内在していると思います。
もちろん「全てのロリータがメンヘラだ」と言いたいわけではありません。
ただ一般的な女子全般にくらべて、その比率が高い、という話です。
詳しくはこちらをお読み下さい。
さて「彼女の衣装は既製品ではなくお手製ではないか」というのが僕の考えですが、気になるのは「果たしてあの年代の人に洋裁の技術があったのか」ということです。
これに関しては確認のしようがありません。
しかし日本で最初にセーラー服を学生服として採用した京都の平安女学園では、初期のセーラー服を和裁の技術で仕立てていたそうです(逆に言うと、当時まだ珍しかった洋服であるにも関わらずセーラー服が定着した理由の一つは、和裁で仕立てられたからです。初期のセーラー服はワンピースでした)。
卒業する際、上級生が下級生にお手製の制服を送る習慣があった(大抵彼女らは「シス(シスターの略語)」とよばれる百合的/吉屋信子的な関係にあったそうです)そうで、もしかしたら和裁の技術でドレスをつくることも可能なのかも知れません。あるいは彼女は洋裁の技術を身につけていたかも知れませんし。
(余談になりますが、谷崎潤一郎と一緒にメリーさんの故郷に疎開した松子夫人の妹・信子さんは洋裁ができたそうです)
ネットなどで調べると、おそらくヨコハマメリーが昔から白いドレス、白塗りをしていたように感じてしまうと思います。
しかし実際には、80年代後半になるまで、白いドレスを着ることは必ずしも多くはなかった(むしろ珍しかった)ことが、古い雑誌の記事から読み取れます。
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『ZOOM IN』(ミリオン出版 1984年9月創刊号)より
彼女がアウトサイダーアーチストとして目覚めたのは、最後の10年くらいだったのではないでしょうか。
おそらく直接のきっかけとなったのは、ファンデーションを買う金銭的余裕がなくなって伊勢佐木町の化粧品店「柳屋」さんに薦められた資生堂の歌舞伎用の白粉でしょう。メリーさんは芝居好きでした。この白粉を塗ったことで「わたし、舞台の上の人たちに近づけるんじゃないかしら?」と思ったのではないでしょうか?
彼女はもともと白い服に執着しており、かつ優雅で気品溢れるものに憧れていたようです。おそらく舞台用の白粉がきっかけで、伝説的な装いを始めたのです。
本橋信宏さんが書評で書いているとおり、あの「東電OL殺人事件」の被害者も白いドレスこそ着てはいなかったものの、白塗りして渋谷のラブホテル街に立っていたのでした。
メリーさんは大正生まれですが、70年遅い平成時代に生まれてきたとしても、やはりあの恰好で夜の横浜の立ったのかも知れません。
つまり彼女がヨコハマメリーになった理由は、戦争とは無関係です。