好きな恋愛映画を語る Vol.1 ビフォア・サンライズ
こんにちは、ヤンパチーノといいます。現在、noteで『それまでの全て、報われて、夜中に』という恋愛私小説を書いてます。小説をもっと多くの人に読んでもらうにはどうしたらいいのか?と考えた末、「自分が好きな映画を好きな人は自分の小説を良いと思ってくれる可能性が高い」という仮説に辿り着きました。ということで、自分の好きな恋愛映画について一作品ずつ語っていきたいと思います。割と自分の世代(アラフォー)の人にとってはベタな作品多めです!では、どうぞ!(※ネタバレ有り)
Vol.1:『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995年)
第一回としては、好きな人も多いと思いますが、私も一番好きな恋愛映画作品であるリチャード・リンクレーター監督の『ビフォア・サンライズ』『ビフォア・サンセット』『ビフォア・ミッドナイト』の三部作です。各シリーズが九年毎に作られ、実際に映画自体も九年後という設定という本シリーズは三部作通じて見ることで浮かんでくるモノがありますが、このnoteではまずは一作ずつ語っていきます。
『ビフォア・サンライズ』は、ヨーロッパ旅行中の若いアメリカ人ジェシー(イーサン・ホーク)とフランス人セリーヌ(ジュリー・ デルピー)の二人がユーロトレインの車内で偶然に出会い、ウィーンで途中下車して、翌朝まで会話しながら夜の街を散策するという映画。
映画の大半を二人がカルチャー、哲学、人生観、男女論などについて語る場面で占められている。知り合って間もない男女間の打てば響く会話が延々に止まらない感覚。ある程度カルチャーや学問的な知識が共有されているので説明しなくても相手が理解してくれる部分と、それでも男女(映画では国も)の違いから意見が異なってトークがドライブしていく楽しさ。
セリーヌが「私の今までの人生の中で今夜ほど大切な夜はなかったわ」と言うように、自分のようなボンクラ男子にとっては、生きていることを全肯定されるような気分になる体験。
ただ、アラフォーの現在になっては、そのお互いに理解されている感覚は半分は真実だとしても、半分はお互いの異性としての性的な魅力が支えているのではないかと思うほどにはおっさんになりました(ムチャクチャ価値観合う相手なのに異性としては好きになれなかったりということも…)。二人の会話もよく聞いていていると結構な価値観の相違もあります。その辺りを全て見なかったことにしてしまうのが(特に若い時の)恋愛のエネルギーなのかなと思います。この辺りは、シリーズを全部観終わって感じる部分でもあります。
個人的に最高に好きな場面は、ウィーンに降り立って間もない段階で二人でレコード屋の視聴室に入って音楽を聴くシーン。
狭い個室で音楽を聴きながら、お互いのチラチラ相手のことを見るのだけど、ギリギリで見てることを悟れないように逸らすというのが何回も繰り返され、最後の方で一瞬目が合って、また逸らすという距離感が最高です。自分は好意はあるけど、相手はどう思ってるかわからない、でも多分好意を持ってくれてるとは感じられるのは、恋愛の最高の瞬間なのかも。
あともう一つ、中盤にカフェに入って、友達に電話を掛けるシミュレーションみたいなプレイを通じて、お互いに好意があることを伝えるシーン。ここでセリーヌは会ってかなり早い段階でジェシーに好意があったことを伝える。相手が好意を持ってくれたのが、自分が想像していたタイミングよりも早かった時の嬉しさってあるよなと。これも堪らないやつです。
ジェシーがセリーヌの顔はポッティチェッリの描く女性みたいに魅力的だというセリフがあるけど、ジュリー・デルピーの顔は確かに今っぽい顔というより、時間を超えた美しさを感じるところがあって、これまた厨二心を掻き立てられるところです。
映画としてのメッセージは何かと言われるといまだによく分からない部分がありますが、男女が出会って、恋をして、別れるというプロセスを実際には十数時間、映画としては101分で追体験して、人を好きになるとは何なのか?について改めて考えてしまう映画として好きな一本です。
続編『ビフォア・サンセット』『ビフォア・ミッドナイト』についても後々noteに書きたいと思います。やはりこのシリーズは三本全部通じて感じることか特別な体験だと思うので。
私も『ビフォア・サンライズ』のような、偶然の出会いと夜通し語り合う男女について、実体験をベースにした私小説を書いているので良かったら読んでもらえると嬉しいです。
シリーズ二作目『ビフォア・サンセット』の記事はこちら↓