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たくさん歩く(高須輪中変遷劇場) #211

先月の半ばのお話です。

海津市歴史民俗資料館

三重県にお昼からのゴルフに出かける前に、ちょっと海津市に寄り道をしました。

海津市は岐阜県でも最も南に位置する市です。
昔から揖斐川、長良川、木曽川に囲まれて水害に苦しんできた土地です。

訪れた場所は海津市歴史民俗資料館です。

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前から訪れてみたいと思っていたんですよね。
noteを始めていなかったら訪れていないかもですけど。

◇◇◇

堀田

歴史資料館に入る前に、周りを見渡すと田んぼがありました。
なぜ、水が張ってあるのか?

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どうやらこれは堀田ほりたというものらしいですね。

掘った場所を堀り潰れほりつぶれ
積み上げた方を掘り上げ田ほりあげたというらしい。

低湿地を田んぼにするなら、こうするしかなかったようです。
岐阜県の南も多いのですが、関東も多かったみたい。へぇ~。

風が強い日で水鏡にならない。残念!

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至るところにあったと思われる排水機。
これが働かないと水がどんどん輪中の中に溜まって危険なんだよね。

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船に刈り取った稲穂を積んで移動したとか、なかなか考えられない世界。

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濃尾平野

敷地内に気になるものは他にもあるのですが、歴史資料館に入ります。

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でもその前に、高いところから一望。

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海は全然見えませんが、平野らしく真っ平ら。
濃尾平野のうびへいやだもんなぁ。

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輪中と御囲堤

さて館内に入ってみました。
3階建ての建物で2階が入り口でした。

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明治の頃の輪中わじゅうの様子

岐阜県の岐阜市より南は輪中と呼ばれる川で囲まれた地域ばかり。
木曽川と長良川が1つの川になっている時点で洪水が起きたら怖すぎる。
さらに揖斐川とつながるなんて、近くには絶対に住めないな。

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しかし、これでも江戸時代に薩摩藩によって今の価値で300億円とも言われる宝暦治水工事という河川の改修が行われて、マシになったらしい。

でも何人も犠牲が出て、薩摩藩の総責任者も自害しちゃったんだけど。
だから、この辺りの人にとって薩摩藩の人たちは恩人なんだよね。
というわけで自分もいつか鹿児島に恩返しに行かねば😆

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御囲堤おかこいづつみは尾張国との境目。
あっちには絶対に洪水をあふれさせてはいけなかったらしい。
徳川家康が作った堤らしいから仕方がないかぁ。😅

すげぇ鉄壁の防御感。
鉄壁なのは豊臣のいる大阪からの進軍を想定しているかららしい。

今年の最初にリフティングを練習するために
御囲堤おかこいづつみには訪れてるけど
徳川家康が作らせた堤だとは知らなかった。

◇◇◇

木曽三川工事

この辺りの家には水屋と呼ばれる石垣を積んで高台となっている家がたくさんありました。
高校時代に遊びに行った友人宅にもあったなぁ。

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そんな洪水ばかりの木曽三川きそさんせんを改修したのがオランダ人技師の
ヨハネス・デレーケ
岐阜県の南部に住む人たちは社会の勉強で絶対に覚える名前です。

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堤防作りは自然との戦いですね。技師の役割ってとても重要。

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普段から堤防が決壊しそうなところがないか、命がけで見回る人がいたはず。

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1回に高須輪中が明治時代にどんな改修を行ったか分かる展示がありました。

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一部を動画でお届け。

なんだか動きがメカっぽくて男の子だったらスキなやつじゃない?

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川の流れを変えるって大変なんだよなぁ。

展示はまだまだあったので続きます。

続く

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