これからのgoen゜とわたし
先日投稿した「これまでのgoen゜とわたし」との連作、続編として、goen゜アドベントカレンダー参加投稿2本目として、これからのことを少し書いてみようかと思う。ま、これからのことと言っても、何もわからない、確定していないことばかりなので、空想なのか幻想なのか、それともただのホラ吹きになるのか...。まったく自分でも責任の持てないことばかりなので、あしからず。
goen゜をみつめなおす
ぼくが今のgoen゜に抱いているものはなんだろう?期待や活躍、飛躍は、いつも祈っているし願っているとして、まずは、goen゜をどう見ているのか、どういうものなのか、そこからはじめてみたい。見つめ直してみたい。
goen゜には、虚実、陰陽、善悪、生死含めヒト・モノ・コトがたくさん蠢(うごめ)いていて、キラキラしているというより、もっと生っぽく有機的な印象がぼくにはある。そう、goen゜で繋がったen゜(縁)は、生き生きともしているし、うにょうにょとフリーハンドの線のような。もう少し離れて俯瞰して見たり距離を保って感じると、たぶん、キラキラ華やかで艶やかで、Happyで温かい、やわらかい感じが強いのだろうなぁとも思う。そういう面ももちろんあるのだが、もっと何か根っこがのびるように、深く根ざすように、模索するように、不安定で先を見据えない感じ、腹の底に響くような感じが、ぼくにとっても魅力的なところ。
これは、森本千絵という人物そのものがそうさせるのか、はたまた彼女を中心としたgoen゜という集合体の構成要素が不規則で流動的だからそうなるのか、それともgoen゜に寄せ集まるものが一貫性なく秩序を重んじない(それより優先するものがある)からなのか。いまだによくわからない。一見、濁りのようにも見えるし、混じり合う絵の具のように、黒にはならないけど、なんとも形容しがたい色味があるんだな。
だからgoen゜ってどんな感じ?と聞かれると、いつも返答が難しい。
それは、近づくと感じる、ふっと出てくる???クエスチョンでもあって、あれ?goen゜って思ったのと違う?とかも含めて掴みにくい気もする。
goen゜のスローガンというかキャッチに『「出逢いを発明する。夢をカタチにし、人をつなげていく。」ための集団。』とあるが、確かにそうだし、まさに体現、実践していると思う一方で、何かきれいすぎる、物足りない気もする。ちなみに、決して否定じゃないよ!(goen゜に向けて)
もっと原始的な何かを生み出そうとしたり、伝えようとしたり、魂に触れるような何かを創造しているとしたら、昔から森本さんがいう「命(イノチ)に近いデザイン」の実証実験をしているんではないかと。だから生っぽくて、切なくて、あたたかくて、息づかいを感じる。
距離感と共通感覚
ぼくが、goen゜と一緒にいる、en゜側に腰掛けている時に心がけていることは、距離感と共通感覚。
距離感に関しては、goen゜だけではないのだけど、ものづくり、クリエイティブ、制作などに携わる人達とは、特に気をつけている。それが異業種であれ、同業種であれ。相手側の活動領域に入り込むときには、打ち合わせにしろ、顔合わせ、名刺交換、立ち話、メール、LINE、仕事・作業するときにでも、それなりに気を遣っているつもり。いや、気を遣うという言葉は、ちょっとニュアンス違う。急に土足で踏み入れない感じ。特にgoen゜とはその感覚を大切にしている。
これは、性格なのか、性根なのか、空気を読んでいるだけなのかわからないけど、ぐいぐい突っ込めない。踏み込めない。頑張って無理してそのような振る舞いをしているわけではないのだけど...。なんか不法侵入している感覚というか、昔、近所になっていた柿の木の実を黙ってもぎとるような感じに近いから。相手からすると、近所だから、それなりの付き合いはあるし、たぶん、そこに住んでいるおじいさんも、欲しいなら持っていきな!という感覚だろうけど、意識的な境界線が足を止めてしまう。壁をよじ登れないというか。
でも、それをすんなり、飛び越えて、庭先まで踏み込める人たちもたくさんいる。それが悪いわけではない。ぼくができないだけ。AB型だから?
でもその距離感がお互いとって絶妙な感じになる時がくる。心地よいし全幅の信頼がおけるし、なによりも自分が自然体でいられる。さらけ出せる。この距離感をつかむには、とにかく時間がかかる。ぼくだけかもだけど。不器用なだけかも。
共通感覚というのは、共有感覚や共通言語にも近いのだが、同じ土俵でしゃべれるか、話ができる、同じ考えができるということではない。相手の領域と自分の領域で自然と行き来できる関係性。一番手っ取り早い手段として言葉や会話であるだけで、感覚や感情、拠り所などもそこに入る。大切にしているものとかも。
距離感が合っても、この共通言語というか共感のようなものまで、しっくり来る人、グループ、会社というのはなかなかいない。もちろん、仕事になれば、自分の中でその行き来を合理的にもできるし、割り切りもできるので、ビジネスが成り立つ。損得や利害もそこにはある。だけど、それだけだとなんだかつまらない。
goen゜と、森本さんとの間に、この2つを少しずつ醸成できたのは、この15年のお付き合いの中で少しずつ積み重ね、時折調整をかけながら構築していったからなんだけど、ただ常にそれはゆらぎの中で成立していて、いつ変異するかわからないので、注意深く観察や洞察をし続け、腰をかけながら一服しつづけていた。勝手に言わせてもらうと、一種の見守りのような。この立ち位置をつかめると、goen゜をファミリーのように純粋で愛おしい存在に捉えることができる。掛け値なしに。この感覚、言葉にするとなんだか伝わらないかも...。
で、先日、goen゜とのことを振り返ってみた上で、この先を考えてみたら、これからの10年、20年は、もう少し踏み込んでみたりして、距離感詰めたり、時には飛び回りながら、もっと実証的に刺激的に行動してみようかなと思っている。ぼくにとっては、少し重い腰をあげるような感じかな。いやいやではなく。なんとなきくの気分かも。ご時世的になのかな。
そう、そろそろ「命(イノチ)に近いデザイン」に参加させてもらおうかと。それには、ぼくもそれなりの覚悟を決めて向かい合わないとならない。ぼく自身は、デザインはできないので、デザインした何かを伝える何かにコミットしていきたい(何言ってるのやら...自問自答)と思ってる。ツールなのか、プラットフォームなのか、仕組みなのかわからないけど。近くはなるけど、裏側というか。あー、縁側から床下とか屋根裏とかに移動して動き回る感じかな。虫のように。
やりたいこと
正直、ぼくの人生の中で、立派な大義名分も持ち合わせてないし、一生をかけるほどの夢を語れる自信もない。ただ、ひたすら自分にとってのよりよい何かを探しているだけ、もしくは、何か与えられたモノや状況に応じて、その中でできることは何かを自問しているだけで、内から湧き上がる衝動や創造性とかもまぁ、、、ホント出てこない。森本さんのように、何かを削ったり、こすったり、燃焼したりして、一種の戦いのような場に自ら置きにいくようなことはしない。してこなかった。とにかく、仲間や機会に恵まれていただけ。それもすごいことなんだけど。ただ、自分も45歳になり、この先の人生、多く見積もっても折り返し地点には到達している中で、復路をどう歩くか、走るか、飛び跳ねるか考えていかねばと。本気で思っている。
いい機会なので、自分の中でひねり出してみた。まずは、やってみたいこと。挑むというより、試してみたいこと。それでも、何かを限定・制限していかないとなかなか湧き上がってこないので。今の「goen゜と一緒に」という条件付きで。
1:goen゜と新たな「ものづくり」をする
これは、実際にみんな(日常の人たち、老若男女、少なくとも国内に住んでいる人たち)の手に届くものを、企画から製造、販売、利用、廃棄(再利用)にいたるまで。SDGsとかの目標達成のため!とかのたいそうなことでもなく、普段使うもの、身につけるもの、利用するものをgoen゜のデザインの中で、しっかりと届けること。これは、少しずつに動きつつあり、来年のどこかで、何かカタチになるかなと。そんな予感はする。これは、goen゜に対しては、ビジネス1/3、サポート1/3、趣向1/3という感じかな。たぶん、これまでに培ってきた自分のスキルや土台、会社含めて最大限に活用できるかと思う。
2:goen゜と新たな「教育・育成の場と仕組み」をつくる
まず、goen゜がこれまでにやっていた「coen゜」を復活させてリバイバルというかアップデートしたものをやってみたい。対象が幼児・児童なので、もう少し上の中高生版、その大人版、お年寄り版も。教えることは教えられること。性別や世代も変われば、価値観や感性も違う。個々で違うことを大前提として、その中で培うことのできる教育・育成というものがある。これは、実証実験的なカタチでビジネスとしては難しいのだけど、goen゜が得意とする領域でもあるし、命に近いデザインの源になる気もする。教育分野に強いわけではないが、このようなプラットフォームやフレームワークを構築してみたいという衝動はある。
3:goen゜と新たな「en゜づくりの場」をつくる
場をつくる。ってありがちなものだけど、goen゜、en゜側、en゜人、goen゜と繋がっている人達、団体、会社、グループを結集すれば、結構、面白い場が作れるはず。goen゜BASEという「基地」みたいなもの。子供の頃に仲のよい友だち達と裏山に作った遊び場。好きなものを持ち込み、好きな人を連れて拡張していく。移動型のバンとかトラックとか、コンテナとか、なんでもいいのだけど。地方に出ていくのもいいし、島とかでもいい。温泉街とかもいいな。デジタルの仮想空間でもいいんだけど、このnoteのように。でも、このご時世だからこそ、より命を感じる、生きている感覚を味わえる場がいいな。最近、小林武史さんがPenで連載している「サステイナブルの行方」の挿絵(オクダさんの絵)のような、、、。
ほかにも色々とやってみたいことある。お金も時間も力もいる。巻き込むチカラ。ひとりではできないことをgoen゜は実現してくれる、つなげてくれるパワーを持っているので、goen゜がやりたいこともどっかで改めて聞いてみたいし、これから先、goen゜がどうなっていくのか、どうしていきたいのかも、森本さんとも改めて話をしながら、遊びながら、見届けていきたいと思ってる。ひとつひとつ。
最後に
goen゜とのお付き合い、この15年、今思えば、あっという間だったし、色々あったけど、まだ何もやりきれていない気もする。見てただけ、側に腰掛けていただけなきもする。与えてもらっただけだった気も。何も返せてないので。
少しは恩返し。倍返しとはいかないまでも、何かは返したい。
この投稿は、その決意表明でした。
いつもありがとう。これからも。
そしてメリークリスマス。
EVOWORX & SUPER goen゜ 矢野 賢史
P.S goen゜TIMESは、今のgoen゜を、森本千絵をタイムリーにお届けしてます。是非チェックしてみてください。