見出し画像

肌も精神性も健やかであれ。

精神的な波は、表情よりも体調よりも肌に出やすかったりする。

夜更かし大好き。運動嫌い。ヘルシーな食生活とは縁遠い。
それでも今三十歳を越えて、昔よりも肌の調子はずっと良い感じがする。


十代から二十代半ばまでの自分に今出会えるとするなら、

寝る前に必ず化粧を落とせ。
その日の化粧はその日のうちに落とせ。
日焼け止めを塗れ。
化粧水を全身浴びろ。
ニキビと毛穴に触るな。

このあたりは伝えたい。いや、叱りたい。
肩引っ掴んで揺さぶる程度には。


こう羅列すると、何ひとつ基本的なことができていなかったのだなと思う。

昔は今ほど情報が入ってこなかったし、私の母も祖母も美容にまったく興味のない人たち。
うちに唯一置いてあったのはヘチマコロンとユースキン。それだけ。
子どもの頃はユースキンの匂いが嫌いで、あのオレンジ色の丸い容器には近寄らなかった。
今でこそ、素晴らしい商品だと感じるが。

そういうわけで、化粧の前にはスキンケアをするものだと知ったのは二十歳になる頃だった気がする。
しっかり化粧を落とす重要性も、その後の保湿がさらに重要であることも知らなかった。


けれど今、なんの因果かエステに従事している。しかもフェイシャルエステ。
一緒に働くスタッフも、来店されるお客様も、みんな自分より綺麗な肌をしている。ように思う。
それでも何かしら悩んでいて、何がそんなに不満なのかと喉まで出かかることもしばしば。

最初こそ、やって来るさまざまな人たちから自分の肌をジロジロ見られて「エステの店員のくせに肌が汚いのね」と思われているようでしんどかった。
その不安や劣等感は、ますます私の顔色をくすませていたことだろう。


でも今は堂々とマスクを外してお話している。


どう思われてもいいと思ったら、自然と表情も明るくなった。
肌のトーンも上がって、以前使っていたチークの色では合わなくなって買い替えた。

もちろんお店の施術の練習台は自分の顔なので、幾度となく施して肌は育ったと言える。
スキンケアも合うものを探して試行錯誤を繰り返している。

だけどやっぱり、相手に印象づけるのは肌の綺麗さ以上に私自身が元気かどうか。
不思議なことに心が元気だと肌も元気になる。
心に余裕があれば肌や身体に気遣って生活できる。
心と身体はつながっているのだなあと、しみじみ感じられる。

エステや美容医療はやりすぎると毒になる。
スキンケアもやりすぎれば栄養過多で肌荒れを起こす。
人の身体は間違えない。


こういう仕事をしておいて、こんなことを言うのはなんだけれど、私は自分の見てくれにしか興味のない人が苦手だ。
内面が磨かれてこそ、それが溢れ出て本物の美しさになると信じている。
だから整形とか美容院とか最新の美容事情のことしか話さない人はあまり好かない。
その人の深みを見出せないから。


そしてそういう人は往々にして、無頓着な人たちをどこか見下している。
本当にそのケースは多い。
特に自分が効果を感じ始めた途端に豹変する、これが一番厄介なタイプ。

自分だって最初のうちは自信もなくおっかなびっくりやり始めたはずなのに、ある程度綺麗になってくると急に人様にケチをつけ始めるのだ。

「電車の中でシワシワなおばさんが居てね。何かやったらいいのにと思っちゃった」
(自分もおばさんであることを忘れている?)

「久しぶりに同窓会に行ったらみんな老けちゃってて!エステくらい受けたらいいのにね」

などなど。


ほっとけ

と思う。

彼女らに想像力はないのだろうか?

まず金銭的余裕がなければできない。
エステなんかよりずっと大切な楽しみがあるのかもしれない。
子育て真っ最中でそれどころではないのかもしれない。
そもそも外見に興味がないのかもしれない。
お金をかけたいところが違うのかもしれない。

人それぞれの価値観がある、という想像力。
それが欠落していると思ってしまう。

たくさんの反面教師。
中身の伴わない美しさにひとつも惹かれない。


もちろん内面も素敵な方だってたくさんいらっしゃる。考え方も尊敬できる方もたくさん。
そういう人たちから良い影響をたくさん受けたいと日々思う。


どんな方でもお客様で、お金をいただいていることも重々承知している。
でも吐き出したかった。
いきすぎたルッキズムがいかにハリボテであるか。
綺麗な人たちが他人を見下す表情のなんと虚しいものか。

麗しさは偽り。美しさは空しい。
しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。

聖書 新改訳2017 [箴言 31:30]



自分を高めることと他者を貶めることは同義ではない。
しっかり自分の胸に刻んでおきたい。


美しくある前に健やかであれ。
そう願わずにはいられない。




日頃のモヤモヤを読ませてしまって申し訳ありません。
けれどこのnoteは私の私による私のための場所だと、最初の記事に載せた思いは変わりません。


不快な思いをした方がいらっしゃいましたら、どうか癒されますよう。


それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?