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【奈良】下鴨・上賀茂神社元宮「高鴨神社」「鴨都波神社」「葛木御歳神社」「鴨山口神社」

『山城国風土記』によると、加茂氏(鴨氏)は奈良の葛城周辺から南山城経由で、今の下鴨神社上賀茂神社に移った。そして全国へ賀茂氏は移動したの鴨!?

というので、釣りのようなタイトルになっていますが、真面目です。

○書いた後の自分コメント
神社巡り初めのほうに行ったので、もう一度、参拝していろいろ確認したいなと思う今日この頃。

▼変更履歴

2021年8月3日 初版


▼HP

▽高鴨神社(上鴨さん)

▽葛木御歳神社(中鴨さん)

未参拝

▽鴨都波神社(かもつば)(下鴨さん)

▽鴨山口神社
なし(〒639-2312 御所市櫛羅2428)


▼セットで行くところ

以下の2日目参照。注意事項は、この地域と京都のカモは違うカモと思って参拝しているため、Noteとは齟齬があります m(__)m


▼祭神

▽高鴨神社
主祭神は「阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)」で、 その御名を「迦毛之大御神(かものおおみかみ)」とする。

▽葛木御歳神社
未参拝

▽鴨都波神社
「積羽八重事代主命」(つわやえことしろぬしのみこと)
→オオクニヌシの長男坊・コトシロヌシです。
→別名「えべっさん」だが、コトシロヌシとヒルコの2種類がある。

▽鴨山口神社
山の神「大山祇神(おおやますみ)」


▼見どころ

以下、神社のHPから由緒を抜粋させていただいたが、奈良鴨三社(造語)のうち高鴨神社と京都の賀茂社(下鴨神社・上賀茂神社)の繋がりがよくわかる。ただ、祭神が違うのが気になる。奈良と京都で別れたのかも!?
  ※『山城国風土記』からも整合性が取れている部分も多く、
    旅行記では怪しんでいたが、今ではつながりがあることを
    確信している。

▽高鴨神社(上鴨さん)

雰囲気が良い神社。前述のとおり山城国風土記に記されている神社であり、『出雲国造神賀詞』にも、オオクニヌシの別名「大穴持命の子・阿遅須伎高孫根命を葛城に・・」というくだりがあり古社には間違いない。と、同時に出雲系なのかとも思ったり。
以下、HPより引用。

大和の名門の豪族である鴨の一族の発祥の地で本社はその鴨族が守護神として祀った社の一つ。
清和天皇貞観元(859)年正月には、大和の名社である大神神社や大和大国魂神社とならんで従二位の御神階にあった本社の 御祭神もともに従一位に叙せられましたが、それほどの由緒をもつ古社
弥生中期、鴨族の一部はこの丘陵から大和平野の西南端今の御所市に移り、葛城川の岸辺に鴨都波神社をまつって水稲生活をはじめました。 また東持田の地に移った一派も葛木御歳神社を中心に、同じく水稲耕作に入りました。そのため一般に本社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶように なりましたが、ともに鴨一族の神社であります。このほか鴨の一族はひろく全国に分布し、その地で鴨族の神を祀りました。賀茂(加茂・賀毛)を郡名にするものが安芸・ 播磨・美濃・三河・佐渡の国にみられ、郷村名にいたっては数十におよびます。中でも京都の賀茂大社は有名ですが、本社はそれら賀茂社の総社にあたります。

▽葛木御歳神社(中鴨さん)
未参拝

▽鴨都波神社(下鴨さん)
祭神が出雲大社祭神のオオクニヌシの長男坊・コトシロヌシだったので、京都の賀茂氏とは別だと当初思った記憶がある。

HPにもある通り、大神神社の祭神はオオモノヌシ(オオクニヌシ)で、親子関係だから「大神神社の別宮」とも言われたらしい。関係しているのは大田田根(疫病を沈めたオオクニヌシの子孫で巫女)のようだ。
神様はさておき、鴨族は高鴨神社が本拠地で、農耕をするときにここに移ったそうな。

 ・出雲系(葛城氏)に賀茂氏が農耕を教えたのかも
 ・葛城は衰退し、賀茂氏が整えたのかも
 ・川の合流に鎮座させる=下鴨神社も同じかも

最後に元々は「鴨都味波八重事代主命(かもつみわやえことしろぬしのみこと)神社」であり、「鴨の水端の神」と解され、当地が葛城川と柳田川の合流地点で水に恵まれていたことから、元々「水の神」を祀っていたものとする説もあるようで、これは葛城氏が元々なのかなと。
下鴨神社の鎮座した理由は、川の合流地点=水に恵まれる=農耕ができるだったのかもしれない。
稲穂は雷で出来上がると信じられたこともあるようで、上賀茂神社の祭神に「雷」の要素があるのもかもしれない。

つまりは、賀茂氏は水を司り、濃厚技術にも長けた部族だということカモ!?

▽鴨山口神社
洪水により今の場所に移転した。面白いのは祭神にアマテラスの別名・大日霊命(オオヒルメ)を祀っていること。オオヒルメは日本書紀の一か所にだけ記載されている神様で、私の中では謎です。
この神社はオオヒルメ座像@重文と御霊大神(みれい)座像@重文の二神像が安置されているよう。
なお、神像は完全非公開です。そのうち博物館あたりで公開されそうかな・・。

▼旅行記

以下の2日目参照。注意事項は、この地域と京都のカモは違うカモと思って参拝しているため、Noteとは齟齬があります m(__)m





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