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超美仏「中宮寺」本尊の指先つま先注目!聖徳太子と母・穴穂部間人皇后-法隆寺・斑鳩周辺!世界遺産-

エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザと並び、「世界の三つの微笑像」とも呼ばれてる国宝・超美仏!!

 法隆寺の東隣にある「中宮寺」は、聖徳太子が母・穴穂部間人皇后のために創建した寺。太子が暮らした斑鳩宮と、晩年に移り住んだ「葦垣宮」の中間にあったことから、中宮寺と呼ばれるようになったとか。
 雑誌・写真集・カレンダーで有名な「如意輪観世音菩薩半跏像」。あの軟らかい曲線と頬にあたる指先が、なんとも言えない美仏。京都の広隆寺とはまた違う美しさです。暗いことが多く、人も多いのでオペラグラスを持って行ったほうが良いです。

NHKアーカイブで仏像紹介です!

※注意:この記では「弥勒菩薩半跏像」とさせていただきます。

 聖徳太子とその母・穴穂部間人皇后ゆかりの尼寺。因みに間人皇后は丹後王国(*1)と関係している。間人蟹(たいざ)で有名かな?あっ蟹じゃなくて地名として。聖徳太子は母や弟ともに丹後王国につながりが強い。

*1:ここについては丹後王国の続きで書くと思います。興味のある方は「丹後マガジン」をウォッチしておいてください。待てない方はじゃらん旅行記の丹後⑧にある42日目参照で!?ただ、間違っているかも・・。
---↓抜粋
物部氏と蘇我氏の戦いが激化すると間人皇后(はしひとこうごう)は竹野に逃げる。平定し大和に戻るときにここを「間人」と名付けた。ひとびとは「はしと」を使うのは恐れ多いと「たいざ」と呼ぶようにしたそうな。
--↓抜粋2
第9代「開化天皇」の皇后「竹野媛」で、竹野神社に祀られている。11代「垂仁天皇」には丹後から4媛を娶っている。これは大和朝廷にとって、いかに丹後の地域が大事であったかを示すものと言えよう。これは伊勢神宮の内宮の次に大事な外宮「トヨウケ」も丹後出身であることからも明らかと言えよう。

↑個人的な解釈
出雲は朝鮮半島と貿易をしていた。それは木と鉄だ。大和は鉄を入手するには地理的に日本海側を欲していた。大和側についたのがこの丹後だったのでは?と思っている。なぜ丹後地方を皇后にする天皇がいるのか?ということ。それだけ重要だったのだろうと。
そしてその丹後の中心が天橋立・籠神社(このじんじゃ)だろう。記紀より元伊勢、外宮の祭神・トヨウケの故郷や、由緒より神武天皇を大和に導いたり、伊勢神宮・内宮とここしか飾れない「五色の玉」など、明らかに扱いが異なる。

変更履歴
2022/01/19 動画追加
2021/10/04 初版


▼HP

▼アクセス

奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2

▼本尊と脇時

弥勒菩薩半跏像@国宝(伝如意輪観音)


▼見どころ

 なんか山門というよりも「隠れ名店」か、仲の良い友達の家に行くと格式が高い家柄だった的な感じの門構え!?

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 聖徳太子とその母・穴穂部間人皇后ゆかりの尼寺で、大和三門跡尼寺の1つ。その他の門跡尼寺は「法華寺」と「円照寺(非公開。奈良県奈良市山町1312)」である。
 ※尼寺となると「室生寺」が入ってきますかね。

門跡とは?
皇族・公家が住職などをする寺で、次の2パターンがある。
 ・天皇・皇族が発願して、そのまま住職となる
 ・歴史の途中で皇族・公家が住職になったから門跡寺院になる

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 法隆寺の尼寺とされ、弥勒菩薩半跏像@国宝と天寿国曼荼羅繍帳@国宝という超エース級で大人気の寺。
 いつも思うことだが、コンクリ本堂を見るとなんか残念な気持ちになるのは何でだろう・・・かといって天災でお堂が潰れて仏像がなくなるのも嫌だが。。


拝観注意事項
 法隆寺は朝早くから拝観できるがここは9:00からである。人が多くなる前に良い仏像を独占したいと思い、救世観音、中宮寺をスタートに法隆寺西院伽藍は後回しの計画をすると時間ロスをするかも。

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▽弥勒菩薩半跏像@国宝(伝如意輪観音、菩薩半跏像)

 飛鳥彫刻の最高傑作とされており、アルカイックスマイルの代表仏。エジプトのスフィンクス、モナリザと並び世界の3大微笑像だそうだ。

 本堂に入ると魅惑の半跏像が微笑んでおり、「さあ~何でも聞いてあげよう」という感じの半跏思惟姿でこちらを見ているようだ。
 仏像には32相という決まりごとがあり、手の甲と足の甲がぷっくり膨らんでいるのがその1つなので見るべし!ただ、言われないと違和感を感じないぐらい、全体のバランスが整っている。じっくり見ると腰回りが若干、弱々しい気もしなくもないが、全体を見ると違和感を感じない。
 さて、最後に注目ポイントを!結跏趺坐の足に注目!つま先が浮いているのですよ!これは立ち上がろうとしている時と思う。つまり、願いを聞き「はい!わかった!じゃあ~こうしようか!」とシーンだと思っている。厳密にいえば、弥勒は「釈迦の後継者として56億7千万年後にこの世にあらわれて、人々を苦しみから救う」菩薩なので、救う時が来た!というシーンで、もしかしたら太子の復活を願ったのかもしれない。もしくは、太子の意思がずっと人々の中にあるように!というのかもしれません。

 さて、誰もが気になる金銅仏並みの黒さだが、これは木仏ということで保存目的のため漆を塗りつぶしたそうな(と、一気に現実に引き戻す)。

半跏思惟とは?
台座に座り右足を左膝にのせ左足は踏み下げ、左手は右足首を包み込み、右手の指先が右頬に軽く触れている。

弥勒菩薩とは?
 
釈迦の後継者として56億7千万年後にこの世にあらわれて、人々を苦しみから救う菩薩。その間に私たちを守ってくれるのはお地蔵さんです。正しくは地蔵菩薩です!

▽天寿国曼荼羅繍帳@国宝

 残念ながら本堂にあるのはレプリカである。
 ただ、京都国立博物館「国宝展」の展示でホンモノを見たときは、やはり国宝だ!と思った。不思議な刺繍だなと目が釘付けになり、そう3D感があるんですよね。
 さて、作品だが622年に聖徳太子が没した時に、妃と宮中の采女(うねめ)で天寿国を刺繍したものだそうだ。その時の思いは今も続き、私たちに伝わる。

▼法隆寺と中宮寺

 繰り返しになるが、法隆寺の尼寺です。法隆寺と同じく天王寺式様式の伽藍が並んでいた古刹で、今より東のところにあった。こちらも紆余曲折あり、経営難で法隆寺に属す。宝物を寄贈するなどを経て、難を逃れてきたようだ。
 私のNOTEで法隆寺の経営は厳しい時代が多かったと記したが、そのときは京都・御寺こと「泉涌寺」に属したようだ。まあ~皇族所縁の寺でもあることから納得がいく。それ以上に、歴史の繋がりを重んじる日本人であることに、私たちも繋がないといけないと思う。

▼弥勒菩薩半跏像見比べ!つぶあん派?こしあん派?

私は「③=②>①」ですかね(2021年9月6日時点)
 ①京都・広隆寺 弥勒菩薩半跏像(通称「宝冠弥勒」)
 ②京都・広隆寺 弥勒菩薩半跏像(通称「泣き弥勒」)
 ③奈良・中宮寺 弥勒菩薩半跏像

▼セットで行くところ(旅行記)

▼仏像展

▽2017年 京都国立博物館 開館120周年記念特別展覧会『国宝』に「天寿国曼荼羅繍帳@国宝」

 アルカイックスマイル&超美仏として有名な仏像「半跏坐像@国宝」が来なかったのが残念でしょうがいない。ここに行くと絵のレプリカが置いてあり、日本最古の刺繍遺品「天寿国曼荼羅繍帳@国宝」の説明を受けるが、いまいち良さがわからなかったが、現物を見て不思議な刺繍だなと目が釘付けになった。なんか3D感がありました。

▽2021年九州国立博物館「奈良 中宮寺の国宝」

コロナがなかったら、行っていたのに・・。絶対に妻に「いつでも行けるでしょ!」「また大宰府・・(呆れ口調)」と言われるけどね

↓特別展「奈良・中宮寺の国宝」担当研究員が展示を紹介

▼中宮寺「如意輪観世音菩薩半跏像」好きオススメの仏像を持つ寺

↓願徳寺ですね!

↓長岳寺も気に入るかな。


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