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本尊は秘仏で61年に一度の御開帳「長命寺」聖徳太子!武内宿禰!西国三十三所「大島・奥津島神社」【湖東シリーズ】

ここも聖徳太子建立。古事記・日本書紀などに登場する武内宿禰が関係している神社仏閣。6代の天皇に仕えた後に、619年にこの地を訪れた聖徳太子は、武内宿禰が文字を刻んだ柳から、千手・十一面・聖観音立像の三尊一体となった仏像を彫り、お堂を建てた。そして、武内宿禰の言葉から「長命寺」と名付けたのが長命寺の開基とされている。

 奥から三重塔、本堂、3仏堂です。これ寺ですよね?綺麗な檜皮葺ですよね。

 この風景を見て、なぜか京都の神護寺に再度、行きたくなりました。あそこも結構な時間登って、目の前が広がった平地に着き、本堂はまた階段を登るんですよね。そこからの境内を見下ろす景色が良いんです。

 で、武内宿禰の「長寿の水」と言えば「香椎宮」ですね!

変更履歴
2022/10/15 初版

▼HP、アクセス、祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

▽長命寺(滋賀県近江八幡市長命寺町157)

 808段近くの階段があります。金比羅さんかよ!!と思いつつ、8合目辺りまで車で行け、階段は100段で済みますww
 ただ、車の道は狭く対向車が来ると融合するのが難しい場所が多いので運転に自信がない方は慎重に!!私たちは時間もなく、もう足も疲れているため車でGO!!
 数秒後、対向車3台が下ってきた。坂の下りバック50mほど。

 駐車場からは山門がすぐに表れますが、こちらも石畳風味階段を登る系ですね。下を見ると、次の写真のとおり。。

 息を切らしながら山門です。

→本堂@重文:千手観音立像@重文、十一面観音@重文、聖観音@重文の3体で1仏

 やっと本堂(金堂)が見えました。どこかの寺の堂に似ているなと思っていましたが、奈良県宇陀市の室生寺を思い出しました。今回は西国三十三所の草創1300年記念で内陣参拝ができます。曼荼羅や仏像30体公開しています。

 本堂です。内陣拝観が可能で、寺の説明・解説付きです。この滋賀の湖南・湖東・湖北の良いところはかならず、寺、仏像の説明をしてくれる人がいることです。みんなウンウン頷きながら聞いており、歴史好きがマニアックな質問をしています。私はそんなことは、本を読めばわかるので、ペンライトとオペラグラスで見仏をします(笑)

 本尊は「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」で、千手観音・十一面観音・聖観音の3体で1仏としているます。本尊は秘仏で61年に一度の御開帳で、2009年に公開されています。

 本尊は大きく立派な厨子に安置され、その前にはお前立がいます。玉眼で歴史もそれなりにありますよオーラを出すお前立の「千手観音」は、小ぶりながらも奈良県市内にある海龍王寺の十一面観音を思い出す美仏です。秘仏公開時は小ぶりな三尊を観るのに集中して気づかなかったのですが。。

 本尊の脇侍は毘沙門と不動明王で平安仏。その脇侍の横には、聖観音地蔵菩薩が安置されます。本尊の周りと背後に仏像が並んでいますが、室町と江戸中心の仏像で、特記するものは無しで、仏像は消化不良気味。ただ、寺全体の雰囲気などが素晴らしいです。そして、本堂裏の巨石が絶対、元々は磐座信仰始まりでしょ!!と思わずにはいられない!!

→三佛堂:阿弥陀如来、釈迦如来立像、薬師如来立像

 「三仏堂」は佐々木義秀の菩提を弔うため1184年に建立した。

 内陣拝観は本堂背後が出口で、横に進めば三仏堂。阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来立像が安置されています。中は暗いのでペンライトで照らしながら小さな穴から見仏しました。両方の厨子が気になりますね。

→護法権現社

 三仏堂に接している。三仏堂であり、両建物の間にあるのが「渡廊下」である。

 この寺は聖徳太子建立である。近くの湖東三山の一つ「百済寺」(*1)も聖徳太子が関係しており、この護法権現社は「武内宿禰」を祀る。武内宿禰は300年間天皇に仕えた政治などの右腕で、長寿の代表であり、蘇我氏の祖。
 聖徳太子は蘇我氏と繋がりが強く、ここで蘇我氏の祖「武内宿禰」と「聖徳太子」が重なるのは面白い。話は脱線するが、琵琶湖の東側は出雲の香りがあちこちにある。ここらあたりは蘇我氏(出雲)と繋がりがありそうだ。葛城王朝時代に蘇我氏と尾張氏には繋がりがあり、ここらあたりが蘇我系の地であることも不思議ではない。息長陵もあり、息長といえば神功皇后で、卑弥呼の後釜「トヨ(トヨは蘇我氏系の名につくことが多い)」とも言われるし。

*1:「百済寺」の補足は『◆滋賀:湖東①◆湖東IC開設記念!!湖東三山一気に秘仏公開-百済寺・西明寺・金剛輪寺-』(http://www.jalan.net/travel-journal/000035813/)

 本殿には武内宿彌を祀っている。

→太郎坊権現社

 権現は仏教と神道をごっちゃにした修験道の認識で、修験道が本来の日本の宗教なのだと思うことがある。明治時代に西洋国に立ち向かうために神仏分離をしたので、歴史は神仏習合時代の方が長い。といううんちくはさておき、太郎坊を祀る。太郎坊は天狗で京都の鞍馬寺の天狗の兄である。って、東近江市に太郎坊がいるが、ここの太郎坊とは同じ?分霊した??太郎坊の参拝は『太郎坊宮(http://www.jalan.net/travel-journal/000052372/)』参照。

 写真の中央真ん中に見えるのが「太郎坊大権現社」で、修行を極めた太郎坊が長命寺を懐かしく思い、京都の愛宕山からここまで飛ばしてきたものと伝えられている。

→如法行堂

 如法行堂 には中央に勝運将軍地蔵尊、右に文殊菩薩、左に庚申尊を安置している。勝運将軍地蔵尊は聞きなれない名前だが、愛宕権現の本地仏で甲冑姿の地蔵菩薩が馬に乗るみたいです。

→鐘楼@重文

 護法権現社西側の一段高いところに「鐘楼」が建てられている。鐘楼の鐘は琵琶湖の龍神が長命寺の観世音に捧げたものであるらしい。

→護法権現社の裏:磐座

 武内宿禰を祀っています。この寺は巨石が多く、元々は磐座信仰の場所ではないかと思いました。

京都の松尾大社も数年前に本殿裏から大きな巨石が見つかったところは古代祭祀があった場所で、歴史や偉人、伝承が残り素晴らしい神社が必ずあるというのが私の根拠のない説です。

→境内風景

→本堂裏:三重塔@重文


▽大嶋・奥津島神社(滋賀県近江八幡市北津田町529)

 「大島・奥津島神社」と表しているところもあるが、そこは気にせず続けます。
  長命寺の次に行く「日牟禮八幡宮」をナビで検索しようとするが、読み方がわからないので、周辺検索などでナビと戦い、なぜか知らないが、ここに寄ってみる。
 途中、ああ~この道は狭くなるタイプで車が折り返しできない道になる系だなと思ったら、よさげな雰囲気を持つ神社前に到着です。参拝の記帳を見ると地元の方が通っています。

 大嶋奥津島神社は、大嶋神社と奥津嶋神社が合祀された神社で、祭神はオオクニヌシと 興津島比賣神となっている。神紋が出雲系だとよくわかる。

  境内の右側に小さな棚があり「むべ」という植物がある。天智天皇より毎年、奉納することを指示され、今でも近江神宮に奉納しているとか。
 って、琵琶湖をぐるっと周るのか?琵琶湖を船で突っ切るのか?ちょっと疑問だが、社務所には誰もいない聞くのは諦めた。

 合祀した歴史ある古社なので、主祭神以外としては、応神天皇、大山咋命、天火々出見命、スサノオ、高皇産霊命となっている。自宅に帰って調べると御祭神の木造大国主命座像は重文らしい。

 境内には白山信仰の石柱もあり、湖北の白山信仰の流れもここまで来たことがわかる。

最後にあまり見たことがない「百々神社」がある。

 天智天皇との話が残っており、皇室に献上している歴史がある。

最後に宮司の説明をどうぞ!

▼旅行記

▼セットで行くところ





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