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聖徳太子所縁の「四天王寺」【大阪】【大阪市天王寺区】
蘇我氏と物部氏の宗教戦争で勝利すべく聖徳太子が願ったのが四天王寺である。ただ、この寺は室戸台風、大阪大大空襲でお堂すべて焼失したため、新しいものばかりだが信仰は篤い神社である。この焼失もあり宗派にはこだわらない「和宗」の総本山として独立する。開基は聖徳太子、創建は『日本書紀』により推古天皇元年(593年)とされる。
変更履歴
2021/12/07 初版
▼HP
▼アクセス
大阪府大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
▼見どころ
神道を守るべきと主張する「物部守屋」と仏教を導入すべきと主張する「蘇我馬子」の合戦で蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫った。この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済すると誓願され、勝利の後その誓いを果すために建立した寺。
▽乳布袋尊
この布袋尊(四天王寺)は金堂西の極楽門の外に位置していた「乳布袋」として親しまれ、多くの女性が訪れる。
▽境内「四天王寺式伽藍」
あっ!法隆寺と同じ伽藍の位置!と思う人も多いかもしれないが「四天王寺式伽藍」となっている。四天王寺式伽藍とは中門・塔・金堂・講堂を南から北へ一直線に配置する様式。
四天王寺式伽藍は日本で最も古い伽藍配置様式。22日は縁日が催され、境内には骨董品をはじめ多くの露店が軒を並べ、大勢の参詣客で賑わう。
▽絵堂:毎月22日公開!
天平時代創建で聖徳太子の絵殿がある。残念ながら今の絵伝は昭和作成のものだが、鎌倉時代の絵伝@重文などが残っている。字が読めない人もいたので、飛鳥時代からの物語を口頭で語り伝えているので歴史は続いている。いなみに、コロナ禍はネットで公開し聖徳太子の教えを伝えている。
▼セットで行くところ
▼旅行記
▼仏像展
▼2018年 三井記念美術館
2018年に三井記念美術館で展示された「十一面観音立像@重文」は肥後定慶作のウワサがある。根拠は作風が京都・大報恩寺の准抵観音と衣文などが似ており、元々は興福寺所蔵という噂があることから、慶派・肥後定慶もわからなくはない。
▼2020年 大阪市立美術館『大阪の仏像』
昔、滋賀の大津歴史博物館か東京の三井美術館で行われた仏像展だったと記憶しているが四天王寺から「十一面観音立像」が展示。この仏像ですが運慶の次男坊・肥後定慶作の噂があるんですよね。理由は釈迦千本堂こと大報恩寺の「准抵観音立像@重文」と同作者と思われるためだそうだ。